第10回 「クロノス・ジョウンターの伝説」(1999年)
僕は「愛の強さ」というテーマで今までにいくつもの楽曲を作ってきました。その度にいろいろな状況設定を考え、自らの実体験に「美意識」という名のエッセンスを加えて心の宇宙を描こうとしてきました。通常それは多くの人が感覚として、また経験として共有しやすいように、実世界での出来事という設定で描いていることがほとんどなわけです。
前回の「tasting time」の中でご紹介したジーン・ロッデンベリー氏は、TVドラマの中において宗教や政治などに関する問題提起をしようと試み、その手法として「SF」を選びました。この「SF」という特殊な舞台では、どんな状況設定にしようとも、またそこでどんなことを描こうとも、端から「フィクション」と言い切ってしまっているので、実際の科学で認識されている理論などをストーリーの中に尤もらしく持ち込まない限りは面倒な問題など何も起きないのです。
一見、作り手にとっては非常に都合の良い「SFの世界」なのですが、しかしそんな「何でもアリ」のような世界においても唯一大切にしなければならないことがあります。それは「フィクション」を「フィクション」と感じさせない程の圧倒的な「現実」を与えること。つまりそれは、作者が強く抱いている「思い」や生きてゆく中でほとばしる「情熱」といった、その人自身、また人間そのものを浮き彫りにする「息づく言葉」の存在。そういったものが感じられないお話は何もSFに限らず、受け手にとってはただの絵空事になってしまいます。そこには面倒な問題など何も起きない代わりに、爪の先程の楽しみも共感も得られないのです。逆に言えば、読む者にとってそこに確かな「息づく言葉」の存在が感じられるのであれば、それはもはや「嘘」などではなく揺るがしがたい「真実」であって、いつの間にやら大きな感動の渦の中へと誘われているということが当然のように起こり得るのです。そんな時の受け手の心は「フィクション」を通して、作り手の心と確実に結ばれているように感じられます。むしろその連帯感は現実世界のことではない分、より強く、より心地良く感じられるようにも思われます。またそれは潜在意識の内で何かと繋がっているような感覚でもあります。そんな不思議を味わわせてくれる「SF」の魅力に僕は長いこと虜になっているのです。今回は数ある優れたSF小説の中から僕に感動を与えてくれた「クロノス・ジョウンターの伝説」という小説をご紹介してみたいと思います。
不完全な「物質過去射出機(=タイム・マシーン)」を使い、時を超え、至上の愛を貫いた恋人たちの三つの物語が描かれた「クロノス・ジョウンターの伝説」という物語は、美しくも切ない極上のラブ・ストーリーです。三篇の中で特に僕のお気に入りなのは、巻頭に収められている「吹原和彦の軌跡」というお話。
主人公、吹原和彦は、クロノス・ジョウンターの開発者のひとり。ある朝、突発的な事故に巻き込まれて自分の愛する女性が命を落としてしまうことを知る。彼は彼女の命を救う為にまだ安全性が実証されていないクロノス・ジョウンターへと乗り込み、事故の起こる直前へと射出を試みる。彼は彼女に未来から助けに来たことを必死になって説明するが、なかなか信じてはもらえなかった。過去に留まれる時間は非常に短く、時の流れに逆らったその反動としてタイム・ワープした時点よりもずっと先の未来へと飛ばされてしまう。吹原はタイム・ワープを繰り返し、その都度、彼女を少しずつ説得してゆく。そして飛ばされる度に先々の世界でクロノス・ジョウンターを探し出し、彼女の待つ世界へと舞い戻る。しかし過去に遡るには限界があった。
最後の射出の時を迎えた。次の射出を行えば、彼は数千年先の地球へと飛ばされてしまう。それはすなわち死をも覚悟しなければならないことであった。それでも吹原はこの世界で最も大切な、自分の生きてきた証である存在を救うべく最後のタイム・ワープへ挑み、クロノス・ジョウンターのスイッチを入れた。射出機の傍らに、事故に遭った際に彼女が身に付けていた、もはや溶けて元の形状さえ判別できないブローチがひとつ落ちていた。吹原が過去へと向かってからしばしの時が流れる中、ブローチは以前の美しい形状を取り戻していった。そのことは彼女が事故から確実に救われたことを意味していた。吹原和彦は彼女の命と引き換えに、誰も知ることのない遥かな時の向こう側へと旅立っていった・・・・。
「愛とは決して後悔しないもの」というのは、かの有名なアメリカ映画の名台詞ですが、はたして旅立ってしまった後の吹原和彦は変わり果てた世界を目前にして後悔することは無かったのでしょうか?その後の吹原和彦は安らかな思いで生きていったのでしょうか?それらの答えを自分なりに探す事が、この小説から受け取った僕へのメッセージでした。そう感じた瞬間、この「クロノス・ジョウンターの伝説」という物語は、もはや僕にとって「フィクション」ではないのだと気づきました。
SFの面白さのひとつは、現実ばかりに思い煩っている日々から解放され、一見、荒唐無稽とも感じられる究極の状況に自らを置くことによって、心の奥底の意外な思いに出会えることであったりします。言い換えれば、自分の本質が知らず知らずの内に露になったりするのです。そんな旅へとふと出掛けてみたいと感じた時には、ぜひ一冊のSF小説を手に取ってみて下さい。きっとあなたの心の中に、今まで気づかなかった様々な思いが絡み合う、広大な銀河を見つけることが出来ると思います。
2005.9.2 掲載
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