川島佑介のtasting time
第8回 「ライフ・イズ・ビューティフル」(1998年・イタリア)
ただ君の笑顔が見たいから
僕はおどけて見せるのさ
白い石畳の上を
真白な服に包まれた君を乗せて
どこまでも駆け下りて行くよ
幸福という風に包まれて
あのとき君は哀しみ色の汽車に乗り込んで
もう離れはしないと伝えてくれた
僕は決して愛を裏切らないよ
愛は僕を生かしてくれるから
へんてこなゲームに勝つコツはただひとつ
それは信じ合うこと
ご褒美は必ずついてくるものなんだ
君を決して悲しませない
君を決して失望させない
どれほど虐げられようとも
命をかけて君の心を守るから
君は教えてくれたよ
本当に価値あるものを
暗い世界の中でも
ほらこんなに輝いているよ
(作詞 川島 佑介)
第二次世界大戦時のナチスの強制収容所−そこにおけるユダヤ人虐待の悲惨な状況の描写が後半部を埋め尽くしているこの映画をはじめて観た時、 僕は虐待の凄惨さを嘆き悲しむよりも、愛するものたちをひたすらに守り貫こうとし、精一杯に生き抜いた主人公グイドの勇気や生き方に驚嘆し、強い感動を覚えていました。
日頃から僕は、苦しいと思うか楽しいと思うかは、「環境」ではなく自分の「心」の在り方なのだと自分自身に言い聞かせています。 自分のことのように、又それ以上に大切に思える存在が出来た時、より深い絆を育んでゆこうと試みてゆくものたちは、
今まで知ることのなかった大きな勇気に出会う可能性があると考えます。しかし実際にここまで過酷な環境に置かれたとしたなら、自分にはどんな行動がとれるのでしょう。
これほどまでに誰かを愛し、命を役立てるというような生き方が出来るのでしょうか。現実においての自分が如何程のものか、 それを量り知ることは困難なことなのかもしれませんが、もしかすると意外なほどの行いを起こしえる存在なのかもしれないと感じたりもするのです。
時に僕は、自分の持つ「心の強度」というものを無性に試したくなる衝動に駆られます。それは来るべき「有事」に備えようとする、心の自然な働きなのかもしれません。
この映画の中で、主人公のグイドが様々な場面で見せる「嘘をつく」という行動についてもいろいろと考えさせられます。 「親しい間柄で嘘をつくのは良いことか悪いことか」という議論をした覚えは誰にもあると思いますが、
それらの議論の多くは、自分にとって都合の悪いことを隠す為に創り出した嘘が、その嘘をつかれた相手にとって結果的に都合が良かったかどうかを検証して、 出来ることなら正当化してしまおうという話です。その類の嘘は、グイドのつく嘘とは随分と質が異なるように感じます。
グイドの嘘は「人を思う心」「人を幸せにしようとする心」「人を守ろうとする心」から自然発生的に、また必然的に生まれてくる、もっと純粋な、 良心的なもののように思うからです。そんなグイドの素直な思いが、すっと心に流れ込んでくる時、「嘘も方便」という言葉の意味を再確認せずにはいられなくなります。
この作品を観る度に僕は、「愛に生きる人の心は何と美しく、かくも強いものなのだろう。人生とは何て素晴らしいものなのだろう」と感じます。 そして生きることへの希望と活きる為の呼吸の仕方を教えてもらいます。僕にとってこの映画は、まさに『ライフ・イズ・ビューティフル』と思える作品なのです。
2005.7.25 掲載
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