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川島佑介のtasting time

第6回 「あの日の君へ」(2005年)


さて、前回の話の続きです。エルガーの『威風堂々』とゴダイゴの『平和組曲』に魅せられた僕は、そのふたつの楽曲に共通した主題部分のメロディをモチーフに、デビューシングルCDの制作に入りました。

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「あの日の君へ」

僕の音楽性を充分に心得ている渡部チェル氏から、新たな解釈によるアレンジが仕上がったことを受けて、僕は作詞に取り掛かりました。まず初めにしたこと、それは原曲から受けていたイメージを、一度消し去ってしまうことでした。そしてそこから自由な発想で生まれた思いたちを、書き綴ってゆくことにしたのです。

その新たなアレンジを聴いた時、僕は原曲にはない「繊細さ」と「透明感」を強く感じました。しかし音の世界を起点として旅を続ける途中で僕の心が捉えてしまったものは、まだ幼かった頃の情景 ― 「前向きさ」の手前で立ち尽くしている「こわばってしまった心たち」でした。その時の僕の目は、あの頃の自分の姿を見つめていました。

10歳にも満たない幼かったあの頃の僕は、ひとつ間違えば命を落としかねないほどの過剰な「いじめ」を受けていました。辛うじてかすかな呼吸を繰り返しながら、込み上げてくる様々な思いは閉ざして、早くその悪夢が過ぎ去ってくれることを、ただただ祈り続けていました。誰にも打ち明けられず、生きることは苦しいだけのこととしか感じられず、とても前へ進むことなど考えられない。何とかその場所から転げ落ちないようにしているだけでした。

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ジャケットモデルの海舟くんと

そんな日々の中からどうやってここまで生きて来られたのだろうか・・・・。そう考えたとき思い浮かんだのは、こわばってしまった心を抱いた僕の背中を無理に押すこともなく共に耐え、いつの日かまた歩き出せる日が来ることを信じ、ただ待ち続けてくれた人の存在でした。

人は誰もひとりでは弱い存在。でも良き理解者を得たとき、強くなれる瞬間があるのだと思います。例え理解というまでには至らなくとも、真剣に解り合うことを望んでくれる人がいると知っただけで、人は救われることがあるのです。ですから、心がこわばってしまった人に出会う度に、僕は自分を救ってくれたあの人のようでありたいと思うのです。そんな時を過ごしていた自分へ、そして今そんな時を過ごしている誰かへ、僕が贈りたい言葉をこの曲に乗せてみました。

僕の中の「誰かへ」という小さな思いから歩き始めた言葉の世界は、「共に活きよう」というテーマの元で繋がりと広がりを見せ、やがてメロディと融合してあるひとつの愛の歌へ・・・・。そんな風にして生まれた『あの日の君へ』という作品は、サウンドと詞によって構築されたメッセージ性という部分においては、原曲とかなり違う性格を持つものとなったと感じています。

話は変わりますが、僕の好きなものにサッカー観戦があります。互いのチームが一丸となり一点をめぐって競い合う、その激しさに大きな興奮を覚えます。また全力を出し切り、長く厳しい試合を戦い尽くした後で、両チームの選手たちが互いの健闘を讃え合い、時にユニホームの交換などを行います。そんな光景を目の当たりにする度、僕の胸には希望が芽生え、とても幸福な気持ちが満ちてゆくのです。いわゆるラグビーにおける「ノー・サイド」という言葉も、僕には同じことを意味しているように感じられます。
※ノー・サイド---ラグビーで試合終了のこと。敵・味方の区別がないという意味。

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プロモーションビデオ撮り

日韓共同開催のワールドカップの折は、国境を越え共に集えるということの喜びが、強く胸に込み上げてきました。また同時に、未だ越えられない歴史の壁という意識、そしてそれぞれの心に少なからず潜んでいる相手に対する恐れというものも強く感じさせられました。でもそれは互いを求めるが故のこと。僕はそこに、共生への限りない希望を感じるのです。

いつの日か世界中の全ての人々が、「分かち合うこと」の真の喜びを感じ、その中で「共に活きる」ことの意義を見つけられる時が訪れることを祈っています。そしてその第一歩は、ひとりひとりが身近な誰かと支え合うことから始まるのだと信じています。『あの日の君へ』という曲はそんな僕の思いを託した歌です。

2005.6.28 掲載

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