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第11回 社長よりも威張っている番頭(2)


3カ月後、社長から連絡があった。

「まだ、退職して貰うという決心がつかないので、あと3カ月待って貰えませんか?」

——いいですよ。では、引き続き録音をお願いします。


さらに、3カ月後、社長から連絡があった。

「あと、3カ月待ってください」

なかなか決心がつかないようだ。しかし、この部分の決断は社長が下す必要がある。
  右に行くか左に行くかで迷っている。どっちに行けばいいかを相談にこられる人がいるが、右に行くか左に行くかは自分で決めないと悔いが残る。
  社会保険労務士のような専門家には、右に行けば川がある、川を渡るにはどうすればよいか?とか、左に行けば崖がある。崖を越えるにはどうすればよいか?という相談をすべきだと考えている。従って、社長が退職して貰うか、退職して貰わないかで悩んでいる部分については、狸は口出しをしない。

退職に備えて、会議を録音したCDを送ってもらって聞いてみる。
  会議とは名ばかりで、

「社長が悪いから、うちの会社は業績が上がらん」
  「社長はいったい何をしてるんだ」

活字で書けば柔らかいが、実際はとてもじゃないが活字で掛けないような罵声を社長に浴びせ続けている。

録音を聞いていると、営業部長の罵声に乗じて50代の工事部長も社長に罵声を浴びせている。テープ起こしを業者に依頼したら、最初の5分聞いただけで、テープ起こしできないと返品された。社長はよくこの状況を我慢できるなと感心した。


さらに3カ月後、社長から連絡があった。

「やはり決心がつきません。あと3カ月待って貰いませんか?」

——いいですよ。でも社長、この状況でよく我慢できますね。

「もし、会社が倒産したら、従業員が路頭に迷います。小さい子供がいる従業員もいますので、自分で良ければ我慢します」

——わかりました。お互い頑張りましょう。

そんなこんなで1年ほどしてようやく社長が決心したようだ。

「平成26年○月○日○○時 会社に来て下さい」

——わかりました。


約束の時刻に会社を訪問した。

——こんにちは、今日○○時に社長とアポのびわこの狸です。

受付で要件を申し出て取り次いで貰う。社長室の隣の応接室に通された。応接室の入り口付近に営業部長らしき人が怪訝そうな顔で狸を一瞥する。

応接室のソファーで軽い打ち合わせをする。
  今日の段取りは、まず、社長が退職勧奨をする。その後は狸が引き継ぐ事になっている。

営業部長を応接室に呼ぶ。
  やはり、先ほど応接室の入り口付近に座っていた人だ。初対面の挨拶と名刺交換をして、社長と狸が並んで座る。営業部長は向かい側に1人で座る。

「で、社長、この忙しい時にワシを呼びつけて何の用や?」

とてもじゃないが営業部長が社長に対する言葉遣いではない。しかも、年齢の割に迫力のある声だ。押しも強い。社長が少し気圧されている。社長がちらっとこちらを見た。

どうぞ、っと手のひらを差し出す。
  社長が深く深呼吸した後、ゆっくり切り出した。

「営業部長も今年で66歳だし、そろそろ、後進に席を譲って欲しい」

「なんだと!! ワシをクビにするという事か? 聴き捨てならん! どういうことや! なめとんのか! 工事部長を呼べ!」

ひとしきり罵声を吐いた後、応援が欲しかったのだろう。いきなり、工事部長を呼べと怒鳴った。工事部長は呼ぶまでもなく、営業部長の怒鳴り声を聞きつけて、応接室に飛び込んできた。

「こいつら、ふたりでワシをクビにすると言っとるンや。こんなけワシが会社のために一生懸命やっているのに、2人でワシをクビにしよる」

「営業部長をクビにするやと。どういうことや、ちゃんと説明してくれんと納得せんぞ!」

予想はしていたが、ふたりでわーわー騒ぎ出した。おろおろする社長。
  とりあえず、2人がわめいている間は何を言っても仕方がないので疲れるのを待つ事にする。
  ひとしきりわめき散らした後、一息ついた。

——今日は営業部長に退職勧奨をしに来ました。解雇の話ではありません。

「それがクビということやろ!お前はいったい何者や! お前舐めトンのか?」

狸が口を開いたとたん、営業部長は何かを悟ったのだろう、急に静かになった。対して工事部長は先ほどより勢いを増してわめいている。

工事部長を制して営業部長が声を出した。

「退職勧奨に応じなあかんのか?」

——退職勧奨ですから、応じるか応じないかは営業部長の自由です。会社としては今日は退職を強要する事はありません。

応接室が急に静かになった。暫くの沈黙の後、営業部長が言葉を切った。

「退職勧奨に応じなかったらどうなるんや?」

——私がこうして会社に寄せて頂いているという事は、ある程度の事実を確認して寄せて頂いています。ご理解下さい。

永い沈黙が流れる。
  あれだけわめいていた工事部長もじっとしている。

「懲戒解雇か? 懲戒解雇になる原因を教えてくれ?」

——今日は懲戒の話ではありません。退職勧奨の話です。

「そやから懲戒解雇の原因を教えてください」

——今日は懲戒の話ではありませんので申し上げられません。

また、沈黙が始まる。
  営業部長がこちらを見る。
  狸は動かない。

営業部長が下を向く。
  狸は動かない。

4人の鼓動だけが室内に響いている。
  お互いの呼吸さえも聞こえてくる。
  営業部長が社長を見る。
  社長は窓の外を見ている。
  狸は動かない。

窓の小雪が時間の流れをゆっくりにする。
  営業部長が工事部長を見る。
  狸は動かない。

とうとう、営業部長が痺れを切らした。

「今日返事をせなあかんか?」

——いえ、一度ご自宅でご家族を相談して決めて下さって結構です。

「何時までに返事瀬したらええ?」

——営業部長はどの程度の時間が必要ですか?

「10日待ってくれるか?」

——わかりました。ところで、念のため、社会保険の届関係を確認させて頂いても良いですか?

「何のためや?」

工事部長が虚勢を張る。

——「社長命令です」

社長が頷く。
  「社会保険関係資料を狸さんに見せなさい」

社会保険関係の綴りをパラパラとめくってみる。

——あれ?算定基礎届に営業部中の名前がないようですけど、どうされました?

「いや、経費節約で60歳になった時に社会保険を自分ではずしました」

——毎日出勤していますよね。

「はい、毎日出勤しています。経費節約でやりました」

年金詐欺である。形勢が一気に逆転した。

60歳以上といえども、常勤者は70歳までは厚生年金保険に強制加入だ。自分で手続きの決済ができる事を良い事に、60歳になった時点で自分の資格喪失届けを提出している。

つまり、退職した事にしていたのだった。この事により、確かに社会保険料の会社負担分は節約できた。営業部長が言っていた「経費節約」にはなっているが、それよりも、退職扱いになった事で老齢厚生年金が全額支給になる。

営業部長の月間報酬は80万円である。この報酬なら65歳まではもとより、65歳以降も老齢厚生年金が全額支給停止になる金額だ。にもかかわらず、60歳から66歳(当時)までの6年間にわたり老齢厚生年金を不正受給(年金詐欺)していたという事だ。

営業部長を一瞥し、

——わかりました。

これ以上何も言う必要はない。
  営業部長の表情に一瞬落胆の影が走った。

10日後、営業部長は退職届を提出した。


2015.1.15 掲載

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