WEB連載

出版物の案内

会社案内

第7回 路上生活者の年金相談


穏やかな午後の様子が一変した。彼が相談ブースに入ったとたん、強烈な刺激臭がした。
  3、4人の付き人を伴って、彼が会釈した。こちらも仕事だから会釈して名刺を差し出す。名刺の手を伸ばし彼に少し近づくと、目が痛くなるような刺激臭だ。

受付票を確認し、本人確認をした。彼はしどろもどろの受け答えで、明らかに何かを隠しているようだ。彼のような路上生活者は、年金の手続きをしたがらない。特に生活保護を受けている人は、年金を受給し始めると、年金受給額の分だけ生活保護費が削減されるので、年金に対しては特に警戒心が強い。

取り巻きの人に声を掛けてみた。

「ご家族の方ですか?」
  「いいえ。私たちはNPOの人間です」

彼に、NPOの人たちの同席について、同意を貰った。
  また、いつもの貧困ビジネスの人たちが路上生活者を探してきて、生活保護の手続きをするのだろう。彼に衣食住を提供し、彼に安定した人生を与えるという点では良いのだろうが、生活保護費が貧困ビジネスに流れるのは複雑な気持ちだ。

「年金手帳はお持ちですか?」
  「そんなものない」即答する彼。
  「市役所に行って基礎年金番号を調べてきました。年齢は66歳です」

NPOの人が答えた。どうやら、先に市役所に行ったようだ。多分生活保護の話もしているのだろう。

しかし、普段貧困ビジネスの人は、天下茶屋(大阪市)まで連れて行き、天下茶屋で仮の宿を定めて、大阪市で生活保護の手続きをする。その後、認定地特例を利用して、他府県に移住する。その方が、生活保護費が高くなるからだ。貧困ビジネスの常套手段なのに、このNPOの人たちは、滋賀県内の市役所に直接行ったようだ。

この人たちは貧困ビジネスの人と少し違うようだ。じっくり話を伺うと、路上生活者に声を掛け、生活保護の手続きや宿泊場所の斡旋等をしているが、費用は一切貰っていない。全くのボランティアで活動しているという事だ。

「彼は以前、何か所かで働いたことがあるというので、年金がもらえるのではないかと思ったのですが、調べてもらっても、記録が見当たらないのです」

平成9年1月1日の基礎年金番号導入以前は、年金手帳を何冊も持っている人が沢山いた。例えば、A社に入社した時に、年金手帳1234−567890を発行した人が、A社を退職し、B社に転職したら、A社に就職した時に発行した1234−567890の番号の年金手帳をB社に提出し、1234−567890の年金手帳にB社で厚生年金を加入するのが原則だった。しかし、B社に入社した時に「年金手帳はありません」と言えば、新しい年金手帳5678−901234が発行された。現在のようにオンライン化が進んでいなかった時代だから、本人の申告が全てだ。同様にC社に転職して、また、新しい年金手帳が発行されるという具合に、転職の度に年金手帳が増えていく人がいた。

このような人でも、年金の手続きをする時に、全ての年金手帳を提示すれば、全ての年金の記録を繋ぐ事ができるのだが、転職の度に年金手帳を発行する人は、ほとんど年金手帳を紛失している。彼も同様に、「年金手帳はない」と言っている。時は流れて、平成26年の現在では、このような人のために、名前と生年月日で調べる事ができる。

生活保護との兼ね合いであまり話したがらない彼。そこで、NPOの人たちに聞いてみる。

「彼は本名以外に、他の名前を使っていた事はないですか?」

転職を繰り返す人の傾向で、生年月日を少し変えたり、名前を偽って就職する事も多々ある。名前と生年月日で年金の記録を調べるので、名前を偽ったり、生年月日を偽って就職していると検索にかからない。NPOの人たちは、長年の経験から偽名を使っていた事に気づいていた。しかし、具体的な名前までは聞いていなかったようだ。

彼が口を開いた。
  「そういえば、大阪で仕事をしていた時は、○○と名乗っていた。京都では○□だった」

ほんまかいな??という感じですが、実はよくある話。
  例えば、山田さんが懲戒解雇で退職した場合、次の会社で山口さんと名乗り、その次の会社では山中さんと名乗るように、本名の一部を変えるのだ。全く別人になるのは珍しい。多分将来、自分の年金だと思い出せるように思い出す糸口を残しておくのだろう。

生年月日を偽る時も、全く出たらめな生年月日にするのではなく、たとえば、昭和22年4月10日生まれの人なら、1年さばを読んで、昭和23年4月10日にするとか、歳がずれると干支からばれるので、月をずらして昭和22年5月10日生まれにするという感じ。逆に言えば、本人が思い出す糸口が見つかれば、どんどん本人の記録が判明する。

その後、彼は、年金記録が見つかり、年間約120万円の年金をもらえることになった。さらに不明年金を統合するので60歳まで遡り支給となった。

後日、見違えるようにいきいきした表情の彼が、お礼を言いにきてくれた。年金の仕事をしていてよかった。


2014.5.7 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る