「未来総理」バックナンバー バックナンバー一覧

←次の号を読む 前の号を読む→

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002年9月23日発行 ━

●━━ 若手国会議員メルマガ『未来総理』 第4号 ━━━━━━━━━●

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「未来総理」たちの自己紹介も、後半に入りました。時期的に、「今回の
北朝鮮問題、彼らはどう考えているの?」と、聞いてみたいところですが、
具体的な政策についての話は、いましばらくお待ちください。
 最近は、政党ごとの違いが以前ほどはっきりしなくなっていますが、「未
来総理」たちの政治家を志したきっかけを聞いていると、それぞれの政党に、
どんなタイプが集まるのか、なんとなく傾向があるような気がします。
 「未来総理」たちの未来は、各政党の未来でもあります。そのあたりも、
ちょっと注目してみてください。

★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  目次
────────────────────────────────☆★

 ◎テーマ:「私が政治家をめざした理由」(自己紹介をかねて)
   ▼宮本岳志(参議院議員・共産党・大阪・42歳・当選1回)
   ▼細野豪志(衆議院議員・民主党・静岡・31歳・当選1回)
   ▼有村治子(参議院議員・自民党・比例・32歳・当選1回)

 ◎編集後記
 ◎次号予告
 ◎未来総理メンバーの紹介

★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  テーマ:「私が政治家をめざした理由」(自己紹介をかねて)
────────────────────────────────☆★
 今回は、当選1回の若手議員3人の登場です。特に、細野議員(31歳)、
有村議員(32歳)は、「未来総理」のなかでも、年齢的に若手中の若手です。
また、宮本議員は、中学2年生のときに、すでに原水爆禁止世界大会に参加
していたそうです。政治に無関心な若者が多いなかで、彼らはなぜ、政治家
を志したのでしょうか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「政治家をめざしたことなんて一度もない」
                宮本岳志(参議院議員・共産党・大阪)
──────────────────────────────────
 日本共産党の宮本岳志です。9月14、15日の岸和田だんじりまつりで
は地元の「若頭」(決してアブない役職ではありません−−念のため)とし
て市内を走り回りました。というわけで最近では「国会のだんじりファイ
ター」などと呼んでもらっています。どうぞよろしくお願いします。

 さて「なぜ政治家をめざしたのか?」という質問ですが、私の場合、この
設問自体に違和感があります。だって私は政治活動には早くから飛び込みま
したが、いわゆる議員という意味での「政治家」というものをめざしたこと
は一度もないからです。

 もちろん、政治には人一倍関心がありました。きっかけは中学2年生の時、
父親と参加した原水爆禁止世界大会です。原爆資料館を見、被爆者の話を聞
いて「どうしてこんなむごいことがおこなわれるのだろう。そしていまだに
何万発もの核兵器が世界に存在し、戦火が絶えないのはなぜなのか」を考え
させられたことでした。

 平和運動にとりくむ中で歴史を学び、あの戦争中に「戦争反対」などと誰
も口にはできなかった時代に、「非国民。国賊」などとののしられ、投獄さ
れ殺されても「戦争反対」の主張をつらぬきとおした政党があったことを知
り、迷わず日本共産党に18歳(まだ高校生でした)で入党しました。

 他の政党は知りませんが日本共産党は議員や政治家になるために入る党で
はありません。学生、サラリーマン、商売人、主婦など、あくまでそれぞれ
自分の仕事を持ちながら、その上でやる活動なのです。いま日本共産党の党
員は40万人をこえていますが、議員は地方議員全部合わせても4400人
あまりですから、39万人以上は議員ではありません。

 逆に言えば私たちは「議員でなければ政治を動かせない」とは考えていま
せん。議員であろうがなかろうが、それぞれ日本国民であるかぎり自分の職
場や地域について考え、政治のありかたについてもみんなが発言するのは当
然であって、その声にもとづいて政治をすすめてこそ、本当の「国民主権」
ということではないでしょうか。

 とはいえ党も40万人ともなると、アマチュアばかりでは毎日発行してい
る「しんぶん赤旗」の配達集金や党の実務が回っていきません。そこで日本
共産党の仕事をする職員が必要になります。私は24歳の時、まだ大学生で
したが、求められて大学をやめ党の専従職員となりました。ある意味ではこ
のとき政治の「プロ」になったわけですが、それでも議員になろうなどとは
かけらも思いませんでした。

 ですから私は1997年に参議院議員の候補者になる前は「しんぶん赤旗」
の配達集金の仕事をしていました。一軒一軒、お宅に伺っては、地域の声や
職場の状況をお聞きし、困ったことには相談に乗る、というのが私の仕事だっ
たのです。

 「国会議員になる前は新聞配達をしていた」と言うと驚かれることが多い
のですが、これもわが党に関する限り、別に驚くようなことではありません。
むしろそうして一人ひとりの国民の痛みや苦しみを聞いたこともないような
者に国会議員は務まらないのではないでしょうか。つまり特別な志を立てた
「政治家」なるものが、政治をするという考えこそが大きく政治を歪めてき
たのだと思うのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「国政に乗り込む若い政治家たちの姿が輝いて見えた」
                細野豪志(衆議院議員・民主党・静岡)
──────────────────────────────────
「なぜ、政治家になったのですか?」政治家であれば、何度となく遭遇する
質問である。候補者だった当時、ある日の朝刊に私の目は吸い寄せられた。
高校生の夢を尋ねたアンケートの結果を載せた記事であった。

 記事の論旨は、男子のトップは「公務員」、女子のトップは「女優」とい
う好対照が興味深いというものであったが、私の目にとまったのは、「最も
なりたくない職業」に男女とも「政治家」があがっていたことであった。冒
頭の質問は、「なぜ、政治家になんかなったのですか」というのが世間の本
音である。このイメージが変わらない限り、日本の政治は良くならないと思
う。
 私の初当選は、2000年6月の総選挙、28歳のときであった。地盤・
看板・カバンのない落下傘候補であった私が当選するまでには、幸運と縁、
そして苦難があった。民間シンクタンク研究員という職を捨て、乳飲み子を
抱えて選挙にでる葛藤、「トンビは鷹を生まないからやめておけ」と断固阻
止しようとした父親の説得、支援者との出会いと別れ、ツクシとタケノコを
食べて貧乏をしのいだこと。それらを乗り越えることができたのは、政治家
になるという決意と、実際になれるという明確なイメージがあったからだと
思う。

 私がはじめて「政治」を意識したのは、21歳の時である。盲目の弁護士
の自叙伝を読んで感動した私は、修行僧のような浪人生活を経て法学部に入
学したものの、1年も経たずに、法律の授業に関心が持てなくなってしまっ
た。

 それなりの苦労をして大学に入ったのに、これではどうしようもない。大
学の外に目を向け、在日外国人の電話相談をしている団体の門を叩いた。バ
ブルがはじけた直後、巷は多くの外国人、特にバブル時に入国ビザを発給し
た日系人が職にあぶれていた。日本語が話せないがゆえに、不当に解雇され
ても、労働災害にあっても泣き寝入りするしかない。不法滞在で就労してい
る人の場合はもっと悲惨であった。

 日本人のこと、彼らの母国との関係、行政の冷たさ、入国管理政策・・・、
私の前には初めて知る厳しい現実が存在していた。当初は、自分も役に立っ
ているという喜びがあったが、それはすぐに、問題を克服できない無力感に
変わっていった。

「政治家になれれば」という漠然とした思いが明確なイメージに発展したの
には当時の時代背景がある。政治家を意識しだした93年、日本新党ブーム
で多くの若い政治家が誕生した。横浜市長になった中田宏氏、民主党に所属
している枝野幸男氏、京都では前原誠司氏・・・、国政に乗り込む彼らの姿
は輝いて見えた。「俺にもやれるのではないか」この選挙を目の当たりにし
なければ、私が本気で政治家を目指すことはなかっただろう。

 そして、大学四年の冬、95年に起こった阪神淡路大震災の復興支援に携
わる中で、日本の政治の貧困を痛感し、何としても政治家になろうという決
意は固まった。

 私は、若者の政治参加が永田町を変え、わが国を変えると考えている。
「政治家への道は開かれている」という事実を多くの若者に知ってもらいた
いと考え、「パラシューター」と題する本を近日、五月書房から出版予定で
ある。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「政治家をめざす若者がほとんどいないことに危機感を感じて」
                有村治子(参議院議員・自民党・比例)
──────────────────────────────────
 皆さまこんにちは!この「未来総理」の姉妹編とも言うべき「ヴィーナス
はぁと」のメールマガジンから参加しています、参議院議員有村治子です。
政治家になる経緯としては、異色だと言われることが時々ありますが、全て
の第一歩は日常の生活の中での問題意識から始まりました。

 日本マクドナルド(株)で人材開発の仕事をし、充実した会社員生活を送っ
ていましたが、現場で生じた疑問を解決するために、大学院の門をたたき、
博士課程に社会人として編入しました(国際経営学専攻)。その経験の中で、
日本には社会人が新たに能力を伸ばし、その後職場に戻るような仕組みが、
まだまだ発達していないことを実感。向学心のある人、頑張っている人間が
きちんと評価される仕組みを作っていかなければ、汗をかいて自ら道を切り
開いていこうとする人が、日本に見切りをつけ、どんどん海外に出て行って
しまうゾ・・・と危機感を募らせました。

 大学院の研究室に通って、自分自身が学ぶ一方で、その授業料を稼ぐため
に、非常勤の講師として、大学で教えるようになりました。大学生を前に教
鞭をとるうちに、「政治家になりたい」と胸を張って言うハタチ前後の若い
人が、ほとんどいないことに気が付きました。「明日の日本のために、体を
張って仕事をしよう!」という気概を持った若い世代が極端に少ないのは、
これこそ国家的な危機だなぁ・・・と漠然と感じながら、その背景にも妙に
納得していました――。現在の日本には、「私も、政治家になりたい!」と
次世代の人々に夢を持たせることのできる、政治家の実例が少ないことを実
感したのです。

 ある日思い立って、政治家に、手紙を書くことにしました。相手は、10年
以上前から尊敬していた元郵政大臣の野田聖子衆議院議員です。「高い志を
持つけれども資金力・組織力を持てない若い世代も、政治に参画していける
動きを創りたい」という内容の手紙です。すると、政治の世代交代と女性議
員の増加を唱えられていた野田聖子衆議院議員からすぐに連絡があり、お会
いすることになったのです。一国民からの手紙を取り上げ、真摯な行動をとっ
て下さった野田聖子衆議院議員の実行力・直観力に、心から感激しました!

・・その後しばらくして、参議院の比例区(いわゆる全国区)で、自民党公
認候補として立候補する話があったのです。選挙までもう半年を切っていた
昨年の2月末のこと。とんでもないプレッシャーに、私は何度も吐き気をも
よおし、オドオド慌てふためく毎日でした。

 しかし、考えようによっては、これは<私達>にとって、1つのチャンス
になることに気づいたのです。自民党が知名度のない一般の人間を比例区(
いわゆる全国区)で公認するのは、今までには全くなかったことです。内閣
支持率が一桁台に落ち込んでいた時期だったからこそ、無名の私に出馬の話
があったのでした。

 もしこの機会を見送ったら、私のような一般の若い世代が、推薦される日
はもう来ないかもしれない・・・。私が立つことによって、会社員の方々や
OL・主婦層、学生の皆さんが、政治家をもっと身近な存在に感じたり、「私
もできることから始めよう!」と主体性を強められるのであれば、私の出馬
も意味があることに違いない、と思いはじめたのです。悩みぬいた末、討ち
死に覚悟で、選挙に出馬することを決意しました。

 結果、自民党比例区候補の中で、特定の業界団体の出身でも官僚の出身で
も有名人でもない、ただ一人の「一般生活者候補」として、何とか当選圏内
にすべりこみ、ギリギリセーフで当選することができました。選挙中、都道
府県をまわってみて、「ヒントは現場にあり!」と痛感し、当選後もできる
だけ多くの地域に行って、直接お話を伺っています。各地に実際に足を運ん
でみると、改めて国土の広さや地域の多様性に驚かされ、正直なところ、全
国という広い選挙区を前にしてぼう然とすることが、今でもあります。しか
し生活や将来のかかった皆さまの大事な一票を託していただいたからこそ、
与えられた議席です。毎回、原稿締切を前に夜中に悪戦苦闘していますが、
このような超党派のメールマガジンに参加するのも、議席をお預かりしてい
る者として、1年生議員の私なりにできる皆さまへの報告を、少しでも実行し
ていきたいと意識しているためです。国民の大多数をなす私達、「毎日の生
活を一生懸命切り盛りしているフツーの納税者、有権者」の声を、実質的に
法律を作り上げている政府・政権政党に届けていくことが、現在の私に課せ
られた仕事だと信じています。


★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  編集後記            (ロゼッタストーン・弘中百合子)
────────────────────────────────☆★
 宮本議員の「国会のだんじりファイター」というキャッチフレーズは、な
かなかインパクトがあります。「未来総理」それぞれに、キャッチフレーズ
とか、ニックネームがあると、より親しみがもてるかもしれません。今度、
ほかの議員たちにも聞いてみようと思います。

 細野議員や有村議員が指摘しているように、政治家のイメージは決して良
いとはいえません。それだけに、「ちょっとでもマシな政治家に出てきて欲
しい」という国民の願望は、かなり強いのです。

 まだ汚れていない(?)「未来総理」たちが、初心を忘れずに働き続けて
くれるよう、みなさま、暖かく、時には厳しく、見守ってくださいね。

 「未来総理」たちにどんなことを期待するか、何について語ってほしいか、
ご意見、ご質問は souri@rosetta.jp までお願いします。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━[PR]━━━━┓

    ★★★季刊ロゼッタストーン第11号 10月9日発売!★★★

   ●「男と女」どこまで近づけるのか?
    松島みどり議員、小宮山洋子議員、八田ひろ子議員、
    福島瑞穂議員が登場!

 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  次号予告
────────────────────────────────☆★
 次回は、石破 茂議員(自民党)、小池 晃議員(共産党)、
野田佳彦議員(民主党)、近藤昭一議員(民主党)が登場します。

 ※登場する議員の顔ぶれは、変更する場合もあります。ご了承ください。

◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  未来総理メンバーの紹介
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
「未来総理」に参加してくださったのは、次の19名(敬称略)の方々です。

 ◇衆議院
  石破 茂(自民党・鳥取)  上田 勇(公明党・比例南関東)
  植田至紀(社民党・比例近畿)大村秀章(自民党・愛知)
  近藤昭一(民主党・愛知)  鈴木康友(民主党・静岡)
  達増拓也(自由党・岩手)  樽床伸二(民主党・大阪)
  野田佳彦(民主党・千葉)  春名直章(共産党・比例四国)
  細野豪志(民主党・静岡)  丸谷佳織(公明党・比例北海道)
  山井和則(民主党・比例近畿)山村 健(民主党・比例東海)

 ◇参議院
  荒木清寛(公明党・比例)  有村治子(自民党・比例)
  小池 晃(共産党・比例)  福島瑞穂(社民党・比例)
  宮本岳志(共産党・大阪)

                        計19名

詳しいプロフィールを知りたい方、顔写真を見たい方は、ロゼッタストーン
WEBページで公開しています。⇒ http://www.rosetta.jp/
各議員のホームページにもリンクしています。


●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
〒171-0021 東京都豊島区西池袋5−27−9−101 株式会社ロゼッタストーン
発行人・編集人:弘中百合子
Copyright(C) ロゼッタストーン 許可無く転載することを禁じます
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
━━━━━━━━━若手国会議員メルマガ『未来総理』(毎週月曜配信)━

←次の号を読む 前の号を読む→

配信登録・中止




▲ページTOPへ
Copyright (C) 1999-2004 ROSETTASTONE. All Rights Reserved.