第152回 電車の中の人生劇場
電車に乗るのが好きだ。そして車内の人の顔を見るのが好きだ。人間というのは人前ではかなり頑張って自分を作っている。辛いことがあっても他人に悟られないようつとめて笑顔を作り、楽しいことがあってもなるべくそれを表に出さないよう努力をして、己の心の中を見透かされないように常にバリケードを張り、外部から我が身を守るためにある程度緊張しながら生きている。
外出中、ホッと緊張を解くことができる場所がある。それは電車の座席。もちろん電車の中も人前には違いない。人間は常に外敵から我が身を守ろうとする。特に背中は無防備でいちばん狙われやすい。だから背中にはいつも注意を払って生きている。それが座席に座ってしまえば、背中から襲われる心配が少なくなる。本人が思っている以上のストレスの軽減がここではなされていると思う。またそれがいちばん端っこの席であればなおのことである。
電車の座席は面白い。隣に座っている人の顔も年齢もあまり気にならないし、気にしない、というより思い切って覗き込まない限りよく見えない、加えて前の座席に座っている人のことも思ったほど気にしていない。昨日乗った電車で目の前に座った人の姿形を覚えている人はかなり少ないと思う。とにかくひとたびそこに座ったら、各自個室に入ったかのようにくつろぎ、意外にだらしない表情や動きを無意識に人目にさらすことになる。
足を広げて爆睡している女子高生、大口開けて寝ているOL、袋から漬け物を出し大声で味見を始めるおばさん達、ちびちびと車内晩酌を始めるオッさん等々、それぞれが小さな世界を楽しんでいる。そんな電車の中で、最近知り合いを見かけることが増えた。もちろんこちらは知り合いに声を掛けたりはしないから、知り合いの無防備な様子をソッと覗き見することになる。相手に気づかれないまま、どちらかが電車を降りるまで観察を続けることが出来る。電車に乗っている知り合いを客観的に観察できる機会は滅多にない。それまで見たこともないような表情やしぐさを垣間見ることが出来るし、その人の孤独の在り方がなんとなく見え隠れしたりして興味深い。
その女の子は、以前舞台を手伝ってくれたスタッフでふだんはよく笑うかなり明るい子だった。場所は山手線を新宿から池袋方面に向かっている途中。優先席に座る若い女の子がいるので不愉快に思って睨んでいたところ、それが彼女だった。思いつめた顔をしてジッと席に座っている。まるで地獄の淵にいるようだ。少し離れたドア付近の手すりにもたれていたわたしは、あまりに思いつめた表情に思わず励ましのメールを送ってしまった、もちろんすぐ近くで見ていることは内緒にして。返事は意外にすぐ来た、「元気ですよ」と。でも、それを打っているときの彼女の顔は死人のようだった。しかし返信するだけの気力はあるのだ。何があったか知らないけれど、心の中で「頑張れ」とエールを送った。
その日は、いつものように新宿から青梅線直通電車に乗って大学に向かっていた。斜め前の座席に母娘らしき二人組がいた。母親らしい女性の年のころは、いくつだろう……40〜50歳ぐらいだろうか、娘らしき女の子は中学生くらいか、二人は楽しそうにお喋りをしていた。
誰だったっけー……、いつの時代の知り合いだろうか……頭の中の記憶箱をひっくり返し、その中でも数少ない女性のカードを拾い集め、一つ一つカードに添付されている顔と目の前の人物を較べながら、違う……、これも違う……と確認作業を続けるが記憶がハッキリしない、うーんうーんと唸りながら、こちらの目つきも力が入り、その気配に件の女性も気がつき、幾度か目が合ってしまった。お互い目があってもわからない……、これはかなり前の知り合いかもしれないと、記憶を高校時代まで遡ってみるがはっきりしない。結局その親子らしき二人は立川で降りてしまった。
それから約30分、目的地に着く寸前に思い出した。その人はわたしが20歳前後の時、短い間だったがお付き合いをしたことのある女性だった。若いときはどうしても人付き合いが雑になる。もちろん女性との付き合いも例外ではなく、やることさえやってしまえば、あとはどうでもよくなってしまうことが少なくなかった。お前は獣かと自分に問いながらも当時は同じ過ちを何度も繰り返し、女性達の敵と化していた。
その彼女との最後はいまでも覚えている。中央線沿いのとある喫茶店。季節は冬、目の前に座った彼女の目にはあきらかにこちらに対しての憎悪があった。もちろん非はこちらにある。それをまともに受けとめることは出来ないから俯いて知らん顔をする。しばらくすると、彼女の口から棘のある言葉が連続的に発射され、こちらの胸に刺さる。痛い。痛いけど、どうしていいかわからないからジッとしている。なにをしていいのか分からないわたしと、核弾頭の発射ボタンをいつ押そうかと時を伺っている彼女。こちらを思いっきり睨んでいる彼女の目が怖くなり、そのままレシートを手に取り逃げた。彼女の怨念の視線を背中に浴びながら、弱虫のわたしは冬の街の中に飛び出し、人混みに我が身を紛らした。
今思い返しても心が痛む。詫びて済むことなら詫びて全てを無かったことにしたい……けど、今さら記憶を消すことは出来ない。それでも心の中で手を合わせて謝る。ごめんなさい○○さん。ん?○○さん?そう、なんと彼女の名前が思い出せない。姓も名も両方とも。別れの場面は思い出しても名前が思い出せない、あんなに好きと言った相手の名前が思い出せない。これが30年の歳月というやつなのか、それともわたしのいい加減さなのかそれはわからないが、とにかく思い出せない。これはとても失礼なことだ。結局、覚えていたのはそのとき自分が受けたダメージだけだ、つくづく己の我が儘さに呆れてしまう。
お互いあれから30年。彼女がいま幸せなのかどうかはわからないけれど、この東京でいまも生きている事は事実。生きている事がいい報せ。またどこかで見かけることもあるかもしれない。そのときは声をかけてみようか……いや…しないな、きっと……。
新宿駅で京王線を待っていたとき、その男は台本を片手に二つ向こうの乗り口に並んでいた。その男の人はHさんという新劇出身の俳優さんで、たしかわたしより2〜3歳上だったと思う。Hさんと仕事をしたのは20代の後半、小劇場の舞台公演だった。バリバリの新劇の生え抜きの俳優Hさんとアングラ系出身の俳優とでは全てが違う。Hさんは基礎訓練もしっかりしていてテクニックも経験も豊富な正統派の役者、こっちは勢いと集中力と個性で押し切るしかないチンピラ役者。毎回安定感のある芝居をするHさんと、毎回違う芝居をするわたし。稽古の時からHさんはわたしのことを快く思っていなかったに違いない。というのもなぜかその芝居のわたしの評判は悪くなかったからだ。芝居というのは不思議なもので、上手い人がそのまま評価されるとは限らない。要は観た人の心にいかに残るかどうかなのだ。上手く演じるよりも、その日の舞台で生き生きと演じた方が観た人の心に残ることもある。下手くそであってもなんとかなることがあるのだ。
本番三日目、いつものように本番前の舞台でアップをしていると、とうとうHさんに言われた、「毎回芝居を変えないで欲しい」と。先輩に言われてしまっては仕方がない、あまり脱線することなく、前日の芝居を変えないように演じることにした。しかし、とたんに演技がつまらなくなり、新鮮さも失われ、観た人の評価も落ち始め、演出家にも「もっと自由にやれ」と駄目を出された。先輩俳優と演出家の板挟みになり、いっそう芝居が窮屈になった。さすがに千秋楽だけは自由にやらせて貰ったが、他の日の公演に関しては自分の演技が出来なかった。毎回ブレの少ない安定した演技をするのがいいのか、その日の客や共演者の空気を感じ、ある意味自由に演技をした方がいいのか、その後、演技をする度に悩むようになった。
答えらしきものが見つかったのは自分で演出をするようになってからで、それは、誰がなんと言おうと演出家の望むようにやればいいということだった。もちろん安定した演技を目指しながらもその日その日の芝居を自由にやるのがいちばんいいのだけれど、それはなかなか難しいことだし、そんなに欲張っても人間には限界がある。だとすれば、客観的に全体を見ることが出来る演出家に委ねるのがいちばんである。正解のない演技の世界、マニュアルや正しい演技論が存在することはない。Hさんの言ったことも正解だし、自分が感じてやっていたことも正解ではある。
しかし、そんなことがあったのもすでに20年近く前のこと。はっきりしていることは、Hさんがいまも俳優を続けているという事実。継続は力なり。そんな言葉の本当の大切さを知ったのはつい最近。どうかお身体だけには気をつけてください、と心の中で祈った。電車がホームに入り、Hさんは乗り込んだ。彼を覗き見ることができる場所を確保し、笹塚駅までの短い間、彼が台本に眼を落とす姿を眺めることにした。
2010.12.2 掲載
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