第150回 江古田、小三治、志の輔、三輪山
…そして夏が終わる
池袋から西武池袋線に乗ってちょっと行ったところに江古田という駅がある。ここは日大芸術学部、武蔵大学、武蔵野音楽大学の三つの大学の最寄り駅でもある。
学生のころ、僕はこの街を生活の拠点にしていた。当時、通っていた日大芸術学部の校舎が新しくなったというので猛暑の中、見学にいった。
数十年ぶりに降り立った江古田駅前の印象は、以前となんら変わらない部分と全く変わってしまった部分とが同居していて、過去を懐かしむでもなくガッカリするでもなく、なんとも中途半端な感じを受けた。
初めてこの街に来たときは希望に胸を膨らませた名古屋出身の若者のフィルターを通していたせいか、街全体がこうどこまでも大きく見えたのに、歳を重ねた今はただちっぽけなごくごく普通の街にしか見えなかった。
新しい大学の校舎は受験する若者が喜びそうな今風の綺麗な校舎に代わり、見学しようと思って中に入ると警備員に規制された。あの誰もが自由に出入りしていたこの大学の自由さが今はもうない。一種独特な空気が支配をしていた日大芸術学部の中講堂も近代的な新しい建物になり、郊外にある普通の大学に成り下がってしまった。
この街に住んでいた約三年間、僕はあるアマチュア劇団に入っていた。あくまでもアマチュアだったから、こと表現に関してここで学んだことは、プロに入ってからはほとんど役にたつことはなかった。だから自分で作るプロフィールにはこの部分は書かないようにしている。
江古田の街を歩きながらこの劇団のことをなんとなく思い返してみた。上京した当初は劇団という、それまでの高校生活から見れば毎日が非日常の世界がそこにはあった。あらゆることがとても新鮮に映り、この小さな劇団がいずれこの日本を変えていくのではないかという幻想に囚われてもいた。だから貧しさにも耐えることができ、現実から逃避した楽しい数ヶ月を過ごすことができた。
しかし、もともと疑り深い性格であったため、そんな幻想はすぐに醒め、かといってそこから脱出する術もわからず、優柔不断なまま残りの数年を過ごしてしまった。
劇団を辞めることになる最後の一年は、そこに居るのがただ苦痛でしかなく、この時期の自分は、今思い出しても嫌な人間でしかなかったし、この頃周りにいた人々に対しては今もいい印象は持っていない。そしてこの時の人間関係が、善くも悪くもその後の自分の人間関係の在り方に影響を与えてしまったのは事実で、これ以降僕は人と酒の席に着くのが嫌になり、徒党を組んだり必要以上に他者と仲良くなることはほとんどなくなってしまった。たとえ仲良くなっても、どこかで醒めた感じを常に持つ人間になってしまったのだ。
当時の江古田は学生街として活気があり、この街である程度のことは足りた。出かけるとしても池袋、行って新宿、無理して渋谷、銀座なんぞは年に一二度、という感じだった。そういえば最終電車に間に合わなくて、よく池袋から江古田まで歩いて帰ったこともあった。池袋の交番でおまわりさんと一緒に江古田までの最短距離を調べたのが懐かしい。
池袋といえば、この夏、池袋演芸場へ柳家小三治を聞きに行った。気が狂うほどの炎天下の中、一時間半も並ぶという暴挙に出たのにはわけがある。ひょっとしたらこの暑さで小三治もいよいよくたばってしまうかもしれない、だとしたら今年の夏がラストチャンス、今見ないでいつ見るんだ、そんな思いから自らを奮い立たせ池袋演芸場へ向かった。
並びはじめたのが朝の10時半、劇場は12時開場、12時半開演、小三治の出番は4時頃。立っているだけで汗が頭から噴き出てくる。予定時間より多少早めに開場。場内は満員。密封された空間の空気は否が応でも薄くなる。噺は面白いのだが、あまりの空気の薄さに番組が進むにつれどんどん疲労が蓄積されていく。
お目当ての小三治が登場したときにはこちらはすでにヘロヘロ。しかし、さすが小三治。そでから出てくるだけで場内に緊張が走り、場がピリッとした。ゆったりと登場した小三治は、座布団に坐り場内をなめ回す。が、その顔つきははっきり言って疲れ切っている。頬のあたりが黒ずんでいて、噺なんかできる状態ではないように見えた。
そっとお茶を手に取りいつものように長い間を取る。小さなため息を一つつき、ようやく口を開く、……暑いねぇー……、これで客席がどっと沸いた。後はもう生き生きとして「青菜」という噺を最後まで一気に喋り倒した。それはもう見事としか言いようがない一席で、一時間半並んだ疲れが一気に吹き飛んだ。
あと何回小三治を生で見られるのだろうか……、大笑いしながらもちょっぴり寂しい思いで高座を見届けた。
小三治を見てから数週間後、下北沢の本多劇場へ立川志の輔の「牡丹灯籠」を聞いた。この「牡丹灯籠」、噂によると今年で最後らしい。だから昨年見ているにも関わらず、今年も足を運んでみた。こちらはこちらで面白かった。去年と同じ噺を聞いているにも関わらず、まったく違う噺を聞いているような印象を受ける。もちろん噺そのものは変わっていない。演者の心持ちが違う分、作品そのものが違って聞こえてくるのだ。本人は舞台上で、昨年より随分カットしたのに昨年より30分も長くなっているのはどういうことだ、と嘆いていた。
それでも昨年同様、知らない間に噺に引きずり込まれ、気がついたら涙してしまうほど志の輔の「牡丹灯籠」は秀逸だった。これが来年は見られないのが非常に淋しい。
「牡丹灯籠」では神や仏に手を合わせる人々がたくさん登場する。業を背負った人間たちが、その重さに耐えかねて目に見えないものに向かって手を合わせる。
先日、友人夫婦と一緒に奈良の三輪山に行ったさいに途中で寄った天理教の神殿でも必死に手を合わせる人々がいた。僕は別に天理教の信者ではないけれど、ここの神殿にはちょっと惹かれるものがあって、近くを通る際には時間があれば寄ることにしている。といっても今回で二度目なのだが……。
とにかくここの神殿、スケールがでかい。まるで蜷川の演劇のように迫力を持ってこちらに迫ってくる。人間は何かと圧倒されることに弱い。その非日常的な現象にまずやられる。おまけにここは街全体がこの世のものとは思えない。東京からひょいとここに足を踏み入れると、そこは別世界。街を歩けば音楽の音や騒音が鳴り響く東京都は違い、そこには静かに宗教の街という一種独特な空気を持つ街並と人々がある。
今回、ちょっと小高い場所からこの街を眺めたのだけれど、背の高い古い建物と煙突が目立ち、瓦葺きの屋根がいたるところに並んでいる。それは宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋の街にそっくりだった。
神殿の前には黒門と呼ばれる大きな門がある。これがまず大きく舞台セットのように格好がいい。そこをくぐると大きな平屋の四角い神殿が登場する。神殿の四方は大きく開け放たれていて、そこを風が穏やかに通り過ぎている。この夏の猛暑でも、この中にはたしかに風が吹いていた。
神殿の真ん中には甘露台と呼ばれる神様が座すところがあって、その周りを黒装束を纏った方々が何か教典のようなものを口ずさみながら人間結界を張っている。表だって人間結界を張っている神殿は珍しく、僕はここしか知らない。結界の周りを囲むようにして信者の方々が静かに祈りを上げている。
僕が座った場所には、足を悪くした子供とお母さん、仰向けに寝ている幼児、年老いた女の人が祈りを上げていた、突然、子供のお母さんが澄んだ声で静かに祈りの歌を奏で始めた。どうか私の子供を治してください、そんな願いが聞こえるようで、聞いているこちらまでせつなくなる。
僕は個人的には信仰は否定しない。ただ宗教を理由に人々が集うということにおいてはどうかと思っている。信仰をするなら個人でやればいいことで、そこで集団を形成することは必要ないと思っている。しかし、実際目の前で神や仏にすがる人たちを見てしまうと、それをはっきり否定できない自分もいる。
みんな自分たちの病が治ると信じて祈っていて、失礼な言い方かもしれないけれど、その姿は美しくもあるし、実際胸が打たれるのも事実。いまさらながら信仰ってなんだ?という内側からわき上がってくる疑問にのたうちまわる。その疑問を打ち消す答えが見つかるかと思ってきたのだけれど、自分なりの答えが見つかるのはまだまだ先のようだ。
天理から十分ほど車を走らせると三輪山が目に入ってきた。ここは最近、テレビなどでパワースポットとして紹介されてしまったせいか、多くの人がお参りに来ているらしい。僕はパワースポットというものはあまり信用していない。というより、どんな場所でもプラスとマイナスの要因が潜んでいると思っている。
ある宗教学者が新聞で、パワースポットとよばれる場所には、反対に呪詛の歴史もあるのだから、行けばいいことがあるらしいとホイホイ出かけていくのは危険である、と云っていた。その通りだと思う。頼ってもいいのは、自分ではどうにもできない病気や怪我などの場合で、個人的な幸せや家の中のごたごたを持ち込まれては、いくら神様でもたまったものではないだろう。
三輪山周辺は三輪そうめんでも有名で、中でも万直しという小さな旅館の煮麺はとても美味しい。今回も友だち夫婦を連れて入った。決してきれいとはいえない店内で年老いたおばちゃんが作る大盛り煮麺をぺろりと食べ終わった友達は大きな声で云う、
「うん旨い!おばちゃん旨いよ!」
「そうかい、旨いかい、どれぐらい旨かった?」
「うん、オレが家で作るより全然旨いよ!」
これはどうなのだろう……。僕の友だちが道場六三郎のような料理の大家ならものすごい褒め言葉になるのだけれど、彼は料理とはあまり縁のない鍼灸師だ。どちらかというと褒めことばにはならないのではないか……。とにかく返答に困ったおばちゃんはそこから無言になり、僕たちもそそくさとお店を出た。
しかし猛暑の最中、汗をだらだら流しながら食べた煮麺の味はたしかに格別だった。
ではまた。
2010.9.24 掲載
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