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第149回  暑いと人はどうなるか?


知らない間に九月に入ってしまった。あまりにも暑い夏だったから、なにもしないで過ごしてしまった。というより、暑さでなにもできなかったというべきだろうか。おかげで更新できずにだらだらと時間だけが過ぎてしまった。ごめんなさい。

七月の末に大学の授業が終わり、八月から夏休みに入った。はじめの週は夏風邪にやられてほとんど家にいた。外は暑いのに、ジッとしていると悪寒が走る。猛暑の東京で自分だけが寒気で震えているのだ。

そんなとき、なぜか夢の中に物真似の清水ミチ子が出てきて、僕を励ましてくれた。僕は清水ミチ子があまり好きではない。好きではないと言うより、どちらかというと嫌いな部類に入る。友人に清水ミチ子のことを大好きな奴がいるのだが、いつも「どこがいいの?オレには全然良さが分からん」とツッこんでいる。
  それなのに夢の中で彼女に励まされただけなのに、夢を見た翌日から彼女のことが気になって仕方がない。テレビやラジオで見たり聴いたりすると、体温がクッと上がり、テレビの前でテレたりしている自分がいる。おかしい……いつのまにか清水ミチ子のことが好きになっている……なんだろう、この夢の影響力は。たった一回の夢でこんなにも自分の心が変わってしまうなんて驚きだ。
  ひょっとしたら夢にはそういう働きがあるのかもしれない。だとすると便利だ。喧嘩しているアイツや、嫌いなアノ人と夢の中でいい印象を持つことができれば、それまで彼らに対して持っていた拘りを現実の中で捨てることができるに違いない。しかし、果たして都合良くそんな夢を見られるかどうか……そこが問題ではある。

こうも暑いと人と挨拶することすら億劫になる。だからなるべく人と出会わないように注意しながら歩く。
  前方に知り合いを見かけたらまず逃げる、脇道にそれる、携帯電話を取り出し一生懸命会話をしている振りを気がつかない風を装う、俯いて死にそうに悩んでいるフリをしてオレに声を掛けるなオーラを発する、ipodを大音量にして音に嵌っているフリをする、高田馬場の決闘のように急いでいるフリをして全速力で駆け抜ける等々、いろいろ工夫を凝らして避ける。
  これはこれでエネルギーを使うのだが、だらだらと「暑いねー」と言ったような会話を続けるよりはマシだ。暑いときの他人との会話は、相手を思う気持ちに欠け、どうしても棘ばってギスギスする。電車の中で人々の会話に耳を傾けても、たいていが文句や愚痴だ。

20代と思われる男女が小さな声で喧嘩をしている。どうやら女の子が人前での男の子の態度に御立腹の様子。「なにがいいたいの!」「もっとはっきり言いなさいよ!」「どうして、人前で格好つけるの!」等々機関銃のように男の子を攻撃している。
  最近の若い男の子は人前では決して崩れない。常に冷静でいい子を演じている。それが女の子には気にくわない。僕の若いころとは大違い。僕がよく言われたのは。「言いたいことはわかったわよ!」「もう言わなくてもいいよ、しつこいよ!」「やめてよ、人前よ!」だ。僕は昔から人前で平気で喧嘩するタイプだったからこの男の子の気持ちが分からない。
  女の子は小さい声ながらも激昂していく、男の子はどんどん冷めていく。おかげで車内の空気は1度は高くなった。つられて不快指数も上がった。カップルの影響なのか、周りの人たちの空気も苛ついていく。不愉快そうな顔が目の前に並ぶ。ああ、こういう負の連鎖がそのうち殺人にいきついてしまうのだなぁ…とぼんやり思う。

暑いときは、なるだけ静かに大人しくひっそりと過ごすに限る。人は苛つくと暴力的になるからマイペースで過ごすのがいちばん。そういえば、近くの薬局で袈裟を着たお坊さんがゴキブリホイホイを買っているのを目撃した。お坊さんも多少暴力的になっているのかなと思ったけれど、ただ家でゴキブリが大量発生しているだけだと思う。
  でもなんだろう、別にいいのだけれど、袈裟着た坊主が殺生してもいいのか、なんてことを思ってしまうのも事実で、袈裟着た坊主にゴキブリ殺傷器具は似合わない。袈裟着た坊主がそういうものを手にすると一般人よりもなんだかすごく残酷な気がする。たとえば、ダライ・ラマがチベットの山奥で熊を捕獲する罠を夜な夜な仕掛けていたら、なんだか違う気がする。

まぁ、あくまでイメージなのだろうけど、だから警察官や検察官の売春や盗撮はとても罪深い感じがするのだろう。彼らだって人間なのだから、中にはそういう人がいても不思議ではないのだけれど、ふだん持っているイメージがそうさせるのだろう。
  じゃあふだん持っているイメージってどうやって作られるのかと言えば、それは情緒や情報だと思う。実際その人を知っていれば情緒と情報、その両方で作ることができるけれど、会ったこともない人に対しては、ほとんど情報によって形作られるといっていい。

日本の総理大臣が決まる選挙が控えている今、いろんな情報が飛び交っている。どの情報をどう分析して判断するかは個人の仕事。でも殆どの人がそれをしないで、身近にある情報源を過信しそれに踊らされてしまう。日本人は未だに大本営を信用していると言われても仕方がないかもしれない。日本人はいつの時代になっても変わらない愚かな生きものだと思う。もちろん自分も含めてだけど……。

今年、とうとう50歳になった。母親が死んだ年齢に到達したのだ。母が自殺をした年齢になってまず思うのが、ガキだなぁーということ。50歳の人間の考えていることなんてまだまだ子供で、ましてや50歳で自殺するなんてガキでしかない。まだ世の中の多くのことを知らないし、学んでもいないし、苦労の欠片も知らないと思う。
  これからまだまだいろいろな試練があると思う。ひとつひとつ上手に受けとめて、また投げ返していきたいと思う。そのためには生きないと。マイペースにのんびりと。
  その前に夏よ、そろそろ終わってくれないかなぁ……。


2010.9.13 掲載

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