第138回 ご老人の気持ち
新年が始まったばかりだというのに、すでに一月が終わってしまった。早い。早すぎる。時間ばかりがあわただしく過ぎていく。この調子でいくと、気が付けば、一年はあっという間に過ぎているのだろう。恐ろしく速いペースで歳をとってく。
そういえば今年で49歳になる、ということは今年は40代最後の年。だからといって、何かするわけでもないけれど、来年は50歳になるかと思うと、いささか憂鬱になる。子供がそのまま50歳になってしまうのだ。これはとても恐い。本当にいいのだろうか。もし、50歳になる資格なるものがこの世の中にあったなら、まちがいなく資格習得はあきらめるしかないだろう。それぐらい、社会的には駄目な50歳なのだ。
老人のように免疫力が低下しているこの肉体。寒い日が数日続くだけで、体力を奪われ、身体は悲鳴を上げる。疲れが全くとれなくなり、体中がコチコチに固まる。少しでも身体をほぐさなくてはと思い、マッサージに行くと、「どんな仕事をしていると、こんなに疲れが溜まった体になるのですか?」と年配のマッサージ師の方に言われる始末。寒い冬を、ただただ過ごすだけでこんなにこってしまうのですよ、心の中で呟いてみる。
そうそう、疲れがとれないと悩みもとれない。頭の悩みが全身に降りてくる。疲れと悩みが身体にまとわりつき、日々ウンウンと唸るばかり。しかし、昨年のこの時期は入院していたことを思うと、こうして家にいられるだけで私は幸せなのかもしれない。
こんな身体だから、寒い日は一日中体が温まらない。青梅の大学の授業に行くときにはかなりの防寒対策。なんといっても青梅は都内より4℃は低く、あまりに寒い日は駅前の噴水が凍るほど。とにかくよほど防寒しないと、死んでしまうのだ。まず頭は帽子で隠す。その上に耳当て。首はマフラーでグルグル巻き。上はユニクロのヒートテックの長袖下着を二枚重ね。その上に厚手のセーター。下はこれまた足首まであるユニクロのヒートテック股引。厚手のズボン。靴下は3枚履き。そして最後に厚手のロングコート。もうほとんど着膨れ状態。だめ押しにマスク。これで直に風に晒される部位はほとんどない。
御陰様で歩いているときはなかなか暖かい。駅にむかう冬の道を気分良く歩くことができる。問題はここから。いざ電車が来て、車両に一歩踏み出すと、暖房が一気に襲ってきて、こんどはもう暑くて仕方がない。暑いのを通り越して苦しい。息がフゥフゥハァハァ、軽い目眩がしてくる。
思わず空いている席を探す。幸いドア付近の席が一つ空いていたので、そこに腰を下ろす。そしてゆっくりコート&帽子&耳当て&マフラーを外し、膝の上に乗せる。膝上の衣類はかなりの高さになる。その上に首をちょっと横にして乗せると、これがちょうどいいクッションになる。これが青梅までの長時間の道のりを心地よい眠りに誘ってくれる。
ウツラウツラしながら中央線を上っていく。新宿から青梅方面に向かう朝の中央線は、上り電車ほどは混まない。でも、空席が目立つほどガラガラでもない。三鷹を過ぎた辺りだろうか、何か気配を感じたのでゆっくり目を開けた。そこには一人の御老人がすぐ前の吊革につかまって、こっちをジッと見ている。ん? これはあれかな、席を譲った方がいいかな、でもなぁ・・・こっちも体がダルイしなぁ・・・眠いしなぁ・・・それにこの方、見たところ元気そうだし、大丈夫かなぁ・・・そう思っているうちに、席を替わるタイミングを外してしまった。
まっ、今日は疲れてもいるしこのまま坐らせてもらおう、そう決めてふと姿勢を変えたそのとき、その御老人と目が合ってしまった。御老人の目からは、あきらかに席を替わって欲しいビームが放出されている。おいお前、席を譲れ!!そんな暴力的なビームを真っ向から受けてしまってはかなわない。仕方がない席を譲ろう・・・そのとき、斜め向かいの優先席が三つ空いているのが目に入った。なんだ、優先席が空いているじゃないか。ホッとした私は、「あちらに席が空いていますよ」と空いている優先席を教えてあげた。御老人は「ああ」と頷く。私は再び眠る体制に入った。
しかし・・・御老人は動かない、ビクともしない、優先席に移る気はまったくと言っていいほどないらしい。なんだろう、これは? あきらかに御老人は座りたがっている。しかし空いている優先席には座りたくないらしい。なんでだ? この御老人はみたところあきらかに60歳は越えている。たぶん70歳も越えているに違いない。優先席に座る資格は十分ある。でも、何らかの理由により座りたくはない。
仕方がない、代わってあげるか。立ち上がり、座席を促してあげると、何の躊躇もなく座った。もちろん、ありがとうの一言もなかった。別にお礼の言葉が欲しくて譲るわけではないけれど、何もないのは、これはこれで寂しい。でも、まぁ、それは許そう。それよりも、この御老人の気持ちがわからない。優先席に座るのは嫌だが、人に席を譲ってもらうのはいいらしい。まったくもって、よくわからない。
御老人の話は、もうひとつある。
我が家の近くにはバス停がある。北沢中学校前というバス停だ。天気が良くて、時間に余裕がある日は、ここからバスに乗って渋谷に出ることが多い。北沢中学校前で乗り込んだ僕は、上手い具合に空席を見つけて座ることができた。次の停留所は北沢小学校前。この間500メートル余り。北沢小学校前で一人の御老人が乗ってきた。見たところ80歳前後。ちょうど、僕の近くの手すりにつかまったので、席を譲ることにした。
「あの、よろしかったらどうぞ・・・」
と腰を浮かせた。
「いや、結構です。私は健康体そのもので、運動のため立っていることにしております。お気持ちだけいただいておきます」
「あっ、そうですか。わかりました」
僕は腰を下ろした。
ここまでは別に問題はない。席を譲ったら、断られた。それだけのことだ。しかし、問題はここから。この御老人。次の停留所である代々木上原駅前で降りてしまったのである。御老人が乗ってきたのは北沢小学校前。次の停留所の代々木上原駅前までは距離にして400メートル弱。ゆっくり歩いても4、5分の距離だろう。この御老人、席を譲ったときに「私は健康体そのもので、運動のため立っている・・・」と言っていた。もしそれが事実なら、たかだか400メートルの距離、歩けばいいと思う。天気のいい昼間、てくてくと歩いた方が身体にはいいような気がする。なのに、わざわざバスを待ち、席を譲られることを拒否し、400メートルもない次の停留所で降りていく。まったくもって理解できない。
普段は学生の気持ちがわからない、と悩んでいる私だけれど、実は御老人の気持ちもまったくわからないようだ。以前はもっと他者の気持ちが透けて見えていた筈なのに・・・あれはそう思い込んでいただけなのだろうか・・・。
いったいどうしてしまったのだろうか。国会だけではなく、日本が、日本の人々の心が、微妙に捻れているのではないだろうか。他者の心がある程度透けて見えないと、思いやりは仇となり、やがて殺伐とした人間関係を形成する。そうすると、どうしても犯罪が増え、やりきれない世の中になっていくに違いない。
まあいい。ホームレスのおじさんがローライズの尻出しジーンズを履き、任天堂DSを操っている時代だ。何があってもおかしくはない。しかし、世を憂えてばかりいても仕方がない。自分よりお歳を召した方が目の前にいたら、席は譲る気持ちぐらいは、いつまでも持ち続けていたいと思う。まだまだ寒い日が続く。ガタガタの身体を引きずりながらもなんとか生き続けていられるだけでもよしとしなくては。
2009.2.7 掲載
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