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第135回  次女の料理

今年もいよいよ12月に入ってしまいました。入院で幕を開け、体調が不安定なままそのままズルズルと一年が過ぎてしまい、何も進歩しない一年があっという間に過ぎようとしています。しかし、長い人生、いろんな年があります。ときにはこんな年もあってもいいと、今年はそう思うことにしています。日本運命学会の平成二十年運命宝鑑によると、四緑木星の今である自分の今年の運勢は平運とありました。

──運気不安定で生活に波があり、急ぐと事をし損じる。
            分を守りエネルギー蓄積に励んで安泰。──

まあ、当たっていると言えば当たっているし、当たっていないと言えば当たってはいない。どうも、こういうものはどっちにころんでも当たり障りのないように書かれていることが多いようです。これに限らず、占いというものは結局良いことはほとんど当たらなくて、悪いことばかりがよく当たるのはなぜでしょうか。たまには良いことも当たってほしいものです。

先日、ちょっと遅めに起きて、朝風呂にゆっくり浸かっていたら、小鳥のさえずりが聞こえてきました。今日はのどかな日だなぁ、といつになくいい気分になり、いつもより長めの入浴。心地よい汗を流し、風呂から上がり、バスタオルを腰に巻きつけ、身体から湯気を立たせたまま、居間のカーテンを開けました。そしたら、なんと、我が家の小さな庭に誰かが座っているではありませんか。

一瞬、何が起きているのかわけがわからずに、慌ててテレビの上に置いてある眼鏡をかけ、もう一度しっかり確認。人物が二人、男と女、それがなんと、庭でシートを広げて、食事をしているのです。手には箸を持ち、お茶碗におみそ汁、傍らには湯飲みとヤカンまでありました。これでは寺山修司の「田園に死す」です(寺山修司の映画「田園に死す」のラストシーンは、母と子がちゃぶ台で食事をしていると、いきなり周りのセットが崩れ、突如、新宿の雑踏が現れたのでした)。うん?庭で食事?誰が?

「あっ!お父さんおはよう!」
  そう、それは次女でありました。
  「紹介します!コーヘイ君です」
  次女が紹介したのは彼氏のこーへ遺訓(だそうです)。
  「はじめまして」
  キチンと頭を下げたコーへイ君は、今時の若者とは違い、実にサッパリとした佇まいで、なんとなく庭の紅葉にマッチした若者でありました。
  「あわゎゎゎ、はじめまして・・・」
  と慌てて曖昧に頭を下げたのは、上半身裸で腰にタオルの中年ハゲ親父。
最近つきあっている人ができたと次女から聞いてはいたのですが、風呂上がりにいきなり、それも庭で紹介されたのでは、こちらの方がビックリしてしまいます。

ふつう、我が家の次女は彼氏ができると、彼氏のことをこと細かによく話してくれます。彼氏の癖や長所と短所、家族構成、これまでの女性遍歴等々、こちらが聞きもしないのに一方的に喋り続けてくれるのです。
  それが今回のコーヘイ君に関してはありませんでした。いつになく次女はおとなしいのです。前回の恋が終わったとき、次女が言いました、「もうジャンクな恋はしない」と、「じゃあ、これからはオーガニックな恋を探すのね」と言うと笑っていた次女。いまの彼氏は、なんとオーガニックレストランの店長。本当にジャンクな恋は卒業したようです。

で、今回はどうしてそんなにおとなしいのか、その理由を訊ねたら、どうやら彼氏の方が次女との結婚を考えているそうなのです。ええっ、結婚ですか?それには父親であるこちらも驚きました。別に次女が結婚することに驚いたのではなくて、このままいけばウチは来年の5月に長女が結婚をします、それで、続けて次女も結婚となると、姉妹のダブル結婚になります。まぁ、それはそうなったらなったでしょうがないけれど、一度に二人が嫁いで行ってしまうのは、いささか寂しくなるのも事実です。そう、次女に関しては、父の心の準備がまだできていないのです・・・と、父親がのたうち回っても、それは彼女たちが決めること、こちらが口を挟むことは一切致しません。父親のすることと言ったら、その日がいつ来てもいいように心の準備をしておくだけです。まぁ、なるようにしかならないのが人生ですから、天に任せるしかありませんね。

それにしても、長女のお相手といい、次女のお相手といい、なかなかの人物を探してくるのは、さすがというべきでしょうか。去年までチュートリアルの徳井優のおっかけをしていたとは思えない落ち着きで、次女は落ち葉の舞う庭で彼氏と朝食を食べていました。

次女は現在、下北沢のとあるカフェで週の5日、働いています。そこで、毎週日曜日だけ、次女がシェフで自然食のランチとディナーを作っています。なんとなく散歩していたら、今日がその日だと言うことに気がつき、行ってみることにしました。そういえば、お店で次女の作る料理をシッカリ食べるのは初めてかもしれません。12時からやっていると聞いたので、きっかりその時間に行ってみると、
  「まだ準備が整っていないから、今日は12時半オープンにさせてください」
  と言われました。
  「じゃあ、また散歩してから来ます」
  と言って、再び下北沢をプラプラすることに。
  まったく、そういうところは相変わらずルーズな次女。でも、それでもやっていけるのが彼女のすごいところで、こちらに腹を立たせることなく対応できるところが彼女の魅力でもあるかもしれない、と歩きながら思いました。

12時半ちょうどに店に行くと、今度はちゃんともてなしてくれて、12月なのに氷の入ったお茶をだしてくれました。うーん、12月に氷は寒すぎるだろ、これは帰れと言うことなのかな、と思いましたが、そのまま震えながら飲みほしてやりました。

随分待たされたあげく、ごちそう(このお店ではランチのことを「ごちそう」とよんでいるのです)が出てきました。実を言うと、僕は自然食が苦手です。決してまずいとは思いませんが、あまり美味しいとも思いません。もちろん身体にはいいとは思いますが、やはり一品は魚か肉類が欲しくなってしまいます。それと、自然食をやっている方の中に、ちょっと宗教がかった方々がたまにいるのも苦手な要因の一つにはなっています。

だから、あまり期待はせずに次女の料理に箸を付けたのですが、これが美味しいのです。決して親バカ(それが親バカなのだとツッコまれそうですが)ではありません、なんでしょう、いまだかつてこんなに美味しい自然食(とりあえずマクロビオティックとは言わずに自然食としておきます)は食べたことがないのです。彼女の母親も自然食の料理人、姉もそれに続こうと思って修行しているところ、しかし、次女の料理がいちばん美味しい。やはり経験と才能でしょうか。

彼女は一人でフラッと海外に行き、危険な目にもたくさん遭い、たくさんの人と出会い、自分の力でその輪を広げ、いつの間にか独特の人生観を身につけ、いまの仕事にも巡り会えたのです。そんな彼女しかできない人生が、彼女の味覚を育て、いまの味に辿り着いたのでしょうか。ちょっとビックリしました。人が真似できない、オリジナルの味を持つことの大切さ。それを僕の知らない間にどこかで身につけたのですね、嬉しいことです。これならどこに出て行っても大丈夫のような気がします。

彼女の作る料理のおかげで、彼女が嫁いでいくかもしれない(破天荒な娘ですから、まだまだどうなるかわかりませんが)という寂しさもどこかへ吹き飛んでくれました。
  あとは、精一杯生きて、楽しい人生だったと思えるような生き方をしてほしいものです。

身内の話は、どこか自慢話に聞こえてしまうので、今回はこのへんで。



2008.12.5 掲載

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