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第131回  お伊勢参り

9月9日、火曜日、晴。早朝、昨夜行った夫婦岩に行ってみる。やはり夜と比べて、雰囲気はかなり違う。夜は不気味に見えた異様な蛙の置物も、朝見るといくぶん可愛く見える。神社のような神様をお祀りしている場所は、夜より朝の参拝の方が心地いいとあらためて思う。

しかし、曇り空が邪魔をして富士山は拝めなかった。宿に戻り、朝風呂、約1時間。その後、朝食。大広間の前を通ると、家族連れやカップルが賑やかに朝食の席に着いていた。おっ、朝食こそはみんなと同じ部屋か、と思ったら、またまた隔離された一室で、男二人きりでの朝食。

テレビを点けると、朝のローカル番組が流れていた。ローカル番組といえば地域密着の素朴で馴染みやすい番組が多い。なのに、この番組は違った。キー局の朝番組を意識してか、辛口の報道番組風に作ってある。司会者の態度もなにか高飛車で、まるで全国ネットの有名司会者のようだった。

CMになったときに局名が出た。おっ、これは友人が作っている番組。もう少し考えて作った方がよいのではないか、と感想を書いたメールを早速送ったら、努力します、との返事が来た。どうやら作っている側も、手直しが必要だということに気がついてはいるようだ。だけど、なにやらどうにもできない様子。今の日本と同じ、すべて大人の諸事情なのだろうか。

宿に別れを告げ、伊勢神宮・外宮へ向けて出発。約9年振りのお伊勢参りに心が高鳴る。なぜかわからないが、神社に参拝するときはいつも気分が高揚し、まるで初恋の人に会うような気持ちになる。

今回のお伊勢参りには、実はある思いがあった。できることなら「モノヅクリ」とお別れがしたい、「モノヅクリ」と共に生きることに心身ともに疲れてしまったから、ここらで整理をつけたい、その決着をできることならこのタイミングで、ここ、伊勢でつけたい。神様の前でこの先の身の振り方を決めたかったのだ。

そのことを伊勢神宮に向かう車の中でW氏に話すと、「無理なことはしない方がイイ、捨てられるモノならとっくに捨てていますよ」と、アッサリ言われてしまった。悔しいので「五十鈴川に表現のようなモノが流れていたら、それは私が捨てた表現のようなモノだ」と言い返してやったら、「ふふふ・・・」と不気味な笑みを返されてしまった。

約30分程度で伊勢の外宮に着いた。鳥居をくぐり外宮に一歩足を踏み入れた途端、空気が一変したのがわかった。神々が宿っていると云われる外宮の樹々。その隙間から無数に立ち並ぶ光の柱。厳しさの中にしか存在しない優しさという云う奴が、風となって辺り一面を包み込む。

長い年月守られ続けた場所。その絶対的な守りの中に穢れきったこの身を置いてみる。受け入れるでもなく、また拒絶するでもなく、ありのままの自分をほどよく放っておいてくれる外宮の杜。その美しく、シンプルで偉大なるディフェンスの在り方に心を打たれる。このままここの土に還りたいと呟く身体。

死ぬまでにあと何回この地を訪れることができるのだろうか。もう一度だけここに来たい、そんな希望を持つことで、しばらくは凌いで生きていけるかもしれない、そう思いこもうとしている調子のいい自分、そんな心の移り変わりに我ながら呆れるが、それもこれも客観性を持って見つめることができる場所。ここにいると、現世の出来事や悩みが、とても小さく思えてくる。そう、己は限りなく小さい。

この外宮の洗礼を皮切りに、豊受大神別宮・月夜見宮、伊勢神宮・内宮、と参拝は続き、あの赤福本店で小休止。夏季限定の赤福氷なるものがあったので食べてみると、中身は宇治金時に赤福餅が入ったもので美味。引き続き参拝、猿田彦神社、皇大神宮別宮・月読宮、皇大神宮別宮・倭姫宮。以上で約5時間に及ぶ参拝は終わった。

かなりお腹が空いたので、W氏お待ちかねの伊勢うどんのお店を二軒ハシゴする。W氏は、そのうち伊勢うどんの時代が必ず来る、と言うが、こんな味の濃いモノがブームになるわけがない、僕は一軒目で降参し、二軒目ではラーメンを注文。これはシンプルでかなり美味しかった。

腹ごなしも終わったので、斎宮歴史博物館に向かう。斎宮と言うのは伝承時代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所のこと。斎王を簡単に説明すると、天皇が代わるたびに、天照大神の意を受ける依代として、京から伊勢に赴き、伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王または女王。もっと簡単に言うと天皇家のシャーマンである。

なぜにそんな制度があの時代にあったのか、なぜに京から遠い伊勢までやってくる必要があったのか、なぜに代替わりした斎王の行く末がはっきりしていないケースが多いのか、とにかく多くの謎に包まれた斎王。そんなことが少しでもわかるのではないかと思いやって来たのだけれど、斎宮歴史博物館を見学しても、館の方に質問をしても、想像の範疇での意見は言ってくれず、謎はまったく解明できなかった。

わかった事と言えば、斎宮歴史博物館なる建物のある場所が、伊勢からわりと離れた、誰も来ないような場所にあること。ここは、田舎道を走っていると突然現れる。敷地も広大で、当時の斎宮の敷地面積は137ヘクタールもあり、500人の人間が仕えていたという。この大きさは凄い。

だけど、斎宮歴史博物館は、その建物の豪華さに比べて、展示が非常に陳腐というアンバランスな内容だった。というより、人前の出せる資料があまりないのでは、と思うほど少ないのだ。きっと秘密の資料は表に出せないに違いない。

観覧者は僕たちを含め4人程度。映像資料の上映もあった。大きなスクリーンにゆったり坐れる椅子、観客は僕たち二人という寂しさ。にもかかわらず、館の方が「ただいまより映画の上映を致します」と生でアナウンスをしてくれた。
  映画は大雑把な斎宮と斎王の説明と、斎宮の広大さときらびやかで豪華なイメージばかりを強調。肝心の中身の説明は全くナシ。

豪華と言えば、この映画の中の進行役をマナカナこと美倉茉奈・佳奈が演じていた。こんな田舎にある資料館の映像としてはビックリなキャスティング。
  そういえば奈良にある水平社博物館の映像も、進行役を有名な方々がキャスティングされていたと聞く。地方の資料館や博物館の映像資料は意外な方が出演しているのだけれど、観覧者はほとんどいない状況。こんなにも客の来ない博物館に、なぜにお金をかけるのだろうか?
  リニューアルの際には皇太子まで来たと言うが、なぜにこんな場所まで皇太子がやって来たのか?それほど天皇家にとって斎宮はいまだに意味のある場所なのか? 結局、斎王は政治的な人質だったのではなかったのか? 逆に、純粋な神降ろしが行われていたのではないのか? はたまた斎宮は一種ハーレム的な要素もあったのではないのか? 今でも天皇家は斎王を立てているという噂は本当か? という様々な疑問が、誰もいない斎宮の広大な敷地をグルグル歩きながら頭の中を巡っていた。

夕方、菰野町の湯の山温泉に入る。今夜はここで宿泊。
  宿の受付で、W氏がいきなり、またまた「僕たちはゲイではないです」宣言。とりあえず風呂に直行。そこにはまたまた大きな蛙の置物。大浴場に蛙の置物は気持ちが悪い。三重の人は蛙が好きなのだろうか? よくわからない。

食後、W氏に鍼を打ってもらう。酒も飲まない男二人の部屋から、「あっ来た来たー」「そこそこー」「あー、駄目だ」「もう降参-」「ひーーー」、なんて声がひびく。他の宿泊客や仲居さんはかなり驚いたに違いない。しかし、W氏の打つ鍼は、病んでしまったこの身体のツボをしっかり狙い打ちしてくれたみたいで、疲れた果てた身体はそのままに深い眠りに落ちていった。

次回は旅行最終日とその後です。



2008.10.8 掲載

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