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第119回  生き続けることは大変

昨年の暮れから心の具合が良くない。良くない理由はたくさんある。芝居公演の中止、体の不調、脳・髄膜炎での入院、愛猫の死、などなど他にもたくさん理由がありすぎて、なにが原因で心に大きな影響を及ぼしているのか分析してみるのだが、なにがどうなってしまったのかよくわからない。まぁ、全てが原因なのだろう。大学病院を退院したのが1月の末、猫の松吉があの世へ旅立ったのが2月の末、今は3月の中旬。そろそろ立ち直りたいと自分では思うのだけれど、なかなかそうなってはくれない。ほっとけば通り過ぎると思っていた鬱の風が、いつのまにかそのまま停滞している。

いつになく長い鬱の期間。毎日、首から上が重たくて仕方がない。なんとかして首から上だけ取り替える方法はないだろうか。まさに首のすげかえだ。朝起きた瞬間から、首から上がどんよりしている。家にいると猫の松吉を思い出して、涙が止まらなくなってしまうので、なるべくなら外出していたい。しかし外へ出歩くと、脳みそが浮腫んでいく気がするから困ってしまう。もちろん気のせいだとは思うけれど、本人はそう感じてしまうのだから堪らない。歩けば歩くほど頭の中がブヨブヨしていくのだ。

何を考えても現実感がなく、自分が生きているのかどうかもわからなくなる。とにかく自分の先が見えない。未来ほど遠くない、一年後、半年後、一月後の己の姿が見えない。試しにネットで夏物を購入し、ストーブをガンガンに点け、家の中で真夏の格好をして、鏡に写してみるのだけれど、果たして今年の真夏にその姿で街を歩いている感じがしない。夏まで自分の存在がこの世にある気がしないのだ。自分の存在そのものが、暖簾にうで押し、糠に釘、うーん、やっぱりわけがわからない。ただ、かなり生命力が弱っている感じ。あと自己嫌悪がすごい。自分は世界で一番最低な人間だと思っている(これは事実かも知れない)。自分がこの世から消えてしまえば、世の中すべて上手くいくと思っている。そのくせ自殺はしたくないのだから、考えは堂々巡りになる。行くところも帰るところもない。延々とそこら辺りをグルグルしている。

グルグルしているとたまに明かりが差し込むことがある。ホッとする瞬間が僅かながらある。だから希望はある。足の踏ん張りどころさえ見つかればそこから脱出していける気がするのだけれど、踏ん張りどころがまだ掴めない。もうちょっとのような気がするし、まだまだの気もする。まぁ、なるようにしかならない。自殺さえしなければ、なんとかなるだろう。

鬱との共存に焦りは禁物。わかっているけど焦りはある。その焦りをなだめながらの生活。うーんシンドイ。シンドイと、この間の入院中の出来事を思い出す。僕のいた病棟は脳神経内科。脳梗塞なんかで入ってくる方が多く、年齢層がかなり高い。たぶん病棟内では僕が一番若い。患者のAさんは車椅子に乗らないと移動ができない。年は七十歳前半、動作も緩慢で、喋りもおぼつかない。たまに来る奥さんのことをたどたどしい喋りで、それでもって激しく罵倒している声を何度も聞いたことがある。独りの時はいつも暗く項垂れ、不自由な口でブツブツと自分や世の中に対して文句を呟いている人だった。

病院の消灯は午後九時。僕はテレビを消し、布団をかぶる。が、すぐには眠りにつけない。消灯ギリギリまで点滴をしていたせいで、ここから深夜1時くらいまでの間、ひっきりなしにオシッコに行くことになる。少ないときで4,5回。多いときで10回前後は行く。入院したばかりのころは、酸素と点滴を繋げながら車椅子に乗っていた僕も、退院間際のこの頃は、すでに自力で行くことができていた。トイレに自力で行くことができる、もしくは行ってもいいのは、この病棟では僕一人だったと思う。他の方々は、看護婦さんの付き添いが必要だった。

少しまどろみ始めた頃、尿意をもよおしたので、ベッドを下り、トイレに向かった。廊下では消灯になったにもかかわらず、あちらこちらの部屋から明かりが洩れている。患者さんが次々にナースコールを押すので、看護婦さんが出たり入ったりしているのだ。はっきり言って、神経内科の病棟が静かになる夜は、まったくと言っていいほどないのだ。トイレの入り口にさしかかった。この時間のトイレはいたるところで尿がこぼれていて、とても臭い。きっと、みなさん眠気に勝てず、便器に狙いが定まらないのだろう。その日も、アンモニア臭が鼻孔を攻撃してきた。うーん、堪らない。毎日の事ながら、これにはまったく慣れることがない。

そのとき、トイレの中から当直の看護婦さんの声が聞こえてきた。
「もうー、嫌だー!!なんでそんなことばかり言うのですか!!!」
  その声は、小さいながらもハッキリと大きな怒りを持ち、僕がトイレに入るのを一瞬だけ躊躇させた。
「みんな治そうとしているんですよ!なんのためにここにいるんですか!!そんなに嫌なら家に帰ればいいじゃないですか!!」
  看護婦さんの、何かを鋭く刺すような口調にビビリながらも、何喰わぬ顔で中に入っていくと、涙顔の看護婦さんと車椅子に座ったAさんがいた。
  Aさんは、相変わらず俯いたままブツブツと言葉のような・・・呪文のようなものを口の中で転がしている。
  僕は便器に近づき、放尿を開始。
「明日から、リハビリやめますか!!」
  思わず、放尿が止まりそうなぐらいの看護婦さんの怒り。
「ちょっと、ナースステーションでお話ししましょうか!!」
  Aさんは俯いたままだ。
  二人が黙ってしまうと、僕の放尿の音だけがやたらとトイレ内に響く。いたたまれない空気を背中で感じながら、用を終え、トイレを後にした。

看護婦さんが怒ったのはたぶんこういう事だと思う。
  Aさんはよく「死にたい」とか、「もう、ほっといてくれ」とか、「俺なんかどうなってもいいんだよ」といった言葉を、負のオーラいっぱいに看護婦さんたちに投げていた。もちろん、そんなことは看護婦さんも慣れている。いつもは笑って受け流していた。それなのに、その日は上手く受け流せなかったのだろう、普段は冷静な看護婦さんがついにキレた、それも深夜のトイレで。
  この状況が、アンモニアの臭いが、お互いをよけいにせつなくした。なかなか良くならない身体の具合に、「死にたい」と言わずにはいられないAさん。それを受け止め、または受け流しながらAさんの世話を続けなければならない看護婦さん。異臭の放つトイレの入り口で、「あきらめたら終わりだよ?・・・もう・・・明日からのリハビリは止めにしましょうか・・・やっても意味がないから・・・」と、Aさんの肩を細い指で掴む看護婦さん。下を向いたまま顔をあげないAさん。二人とも悲しい・・・。
  Aさん、とにかく生きないと・・・そう心の中で呟き、僕はその場を去った。そう、何があっても人間は生きなくてはならないのだ。なぜか僕まで泣けてきた・・・・。

朝になった。病棟の電気が一斉に点き、朝食の支度が始まる。昨夜の看護婦さんがAさんを迎えに来た。Aさんは自力で食事が摂れないため、同じような症状の患者さんたちと一緒にリハビリルームで食事を摂ることになっている。
「Aさん、朝ご飯に行きますよー」
  看護婦さんに声をかけられ、Aさんはモゾモゾと動き始める。看護婦さんがAさんの身体を支えながら、Aさんの身体をベッドから車椅子に移す。昨日のトイレでのことは何もなかったかのように、朝食に向かうAさんと看護婦さん。本当は二人のわだかまりは消えていないのかもしれない。でも、たとえお互いのことが嫌になったとしても、Aさんは重度の患者さんだし、そのAさんのサポートを続けるのが看護婦さんの仕事。朝が来て、ご飯の時間がやってくれば、また二人の一日が始まる。生き続けるって大変だ。
  Aさんの車椅子を押す看護婦さんの背中と車椅子に埋もれそうなAさんの背中。明日も、明後日も、Aさんの病気が治る(もしくは、手遅れになる)その日まで、ずっと続くであろう光景がそこにあった。

あれから随分と時間は経ったのに、Aさんと看護婦さんの姿だけは、ウィルスが侵入した僕の頭の中にいつまでもこびりついている。
  人間、シンドイけど生きないと・・・。



2008.3.17 掲載

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