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第108回 父娘の関係PART2


 引き続き娘の事を書きます。

 娘は今月一杯で長女が東京を引き払い、千葉の母親の元に行くことになった。
 東京で無一文になり、緊急避難をしにいくのだ。
 娘にとっては初めての挫折だと思う。
 挫折はいいことだ。挫折を経験しない人間はろくな人間にはならないと思う。
 しかし、行き着く先が母親の元と言うのがちょっと情けない。もっと自分なりの場所がなかったのだろうか・・・。
 他人にもまれて、もがき苦しまないと、次のステップへの取っかかりが掴めない気がするのだが、どうも父親の言うことは聞いてはくれない。

 娘は自分の友達に父を紹介するとき、「家族じゃなかったら面白くて楽しいオジサン、でも父親としては最低な人です」と言う。
 どうも、彼女の中では父親としては失格らしい。
 自分の子供のことを考えるのはとても苦手だ。どうしても、ああして欲しいこうして欲しいという願いが強く入り、必要以上に感情が動いてしまう。

 最近、大学の講師や演劇ワークショップの関係で、娘の年頃の若者達と接する機会が多い。
 実の娘とは違い、大学生や役者志望の若者達とはなんとかコミュニケーションをとってやっているつもりだ。
 彼らに対しては、落ち着いて悩みも聞けるし、相談に乗ったりすることもある。それに対する自分なりの正直な意見をバカな話を交えながらも伝えることができる。
 若者達もそれなりに受けとめてくれてはいるようで、話していて心地よい時間が流れることも多い。

 僕は人を観察するのが好きだ。その人のいいところと悪いところを自分なりに分析し、なるべくバランスよく相手に告げることを心がけるようにしている。
 自分のことを観察してくれている者に対し、彼らは真剣に耳を傾けてくれる。
 今の若者達に対し、自分なりの分析をしてくれる大人(自分が大人かどうかは疑わしい問題なのだが)がどうやら少ないらしい。僕なりの意見を言ってあげるとそれだけで喜ばれることが多い。そう、コミュニケーションの第一歩だ。

 だが、娘となると話は違ってくる。
 私的な感情が入り、冷静さを欠き、ただの口うるさい父親で終わってしまう。娘の方も、まったくもって聞く耳を持たない。父親の意見と反対の方へ突き進んでいく。それこそ甘えというものなのだが、本人はまったく気がつかない。
 どこかに、意見をしてくれる大人や彼氏でもいればいいものなのだが、なかなかいないのだろう、結局あまり小言を言わない母親にSOS。
 父親が口うるさいと、母親というものは自然に甘くなってしまうのだろうか。娘の父と母の考え方は大いに違う。
 父親は、「人とぶつかり、傷を負って成長しなさい」と言うし、母親は「世の中なるべく、波風は立たせないで生きなさい」と言う。

 もちろん、波風は立つよりも立たない方がいい。
 しかし、人生なんて、晴れの日もあれば嵐の日もある。一生、波風が立たない人生なんてものはありえない。
 厳しさの中の優しさにこそ価値を見いだして欲しいと願うのだが、娘は事なかれ主義を選択した。
 娘は甘さを優しさと勘違いしている気がするのが、そこを突っ込むと、「よくわからない」と言って逃げてしまう。
 そんなに父親がイヤなら、もっと居場所がわからないぐらいの範囲まで逃げて頂かないとこまるのだが、情報が入ってくる範囲に留まりウジウジしている。もう、面倒でしかたがない。

 どうせなら、ここらで一世一代の大恋愛でもして、ボロボロにでもなってくれないかと父親は勝手に思ってしまうのが、現実はそうもいかない。
 僕の長年の分析によると、娘の求める男性像とは、心が広く、自分の話を聞いてくれて、正しいサゼッションをしてくれて、養ってくれて、いつも自分のことを考えてくれて、自由にさせてくれて、なおかつ刺激的な人、ということになると思うのだが、果たしてそんな男がこの世の中にいるのだろうか。そんな奴、会ったことも見たこともない。うーん、困ったものである。

 しかし、そんな娘に対し苛立ちを覚えながらも、親として申し訳ない気持ちで一杯になる自分もいる。
 この、申し訳ない気持ちが面倒だ。
 親というものは子供に対して常に負い目がある。あのとき、ああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かった・・・等々、言いだしたらきりがないのだが、どうしても考えてしまう。
 僕がもう少し無口でお金に余裕のある父親だったなら、口うるさく感じることもお金で苦労することなく育ったことだろう。
 無口でお金に余裕のある男、そう、僕が高倉健なら問題なかったことだと思う・・・。
 んっ?それはそれで、また違った問題が起こるのだろうな、うん。

 結局、今回の問題はこうだ。
 人生に挫折したからといって、母親の元に逃げる根性が気にくわない。
 これが他者の元なら構わない(あっ、もちろんセミナー関係は勘弁だが)。娘に手を貸してくれる友人なり、相談できる知り合いがいさえすればよかった話だ。そういう他者が存在しないという、娘の生き方がマズイのだ。
 他者にケアして貰えば、そのありがたさに頭が下がり、事実をちゃんと受けとめ、自分の生き方を修正し、次への展開が必ずや開けてくるはず。
 他者を怖がらず、他者に飛び込んでいく勇気を持って欲しい。それも、厳しく闘ってくれる他者に。

 20歳を過ぎた人間が、いつまでも親の世話になるべからず。
 心の底からそう思う。
 なぜに親子関係はお互い甘くなってしまうのだろうか。
 そして親子問題は、いつになったら解消するのだろうか。
 結局は娘が可愛いからなのだが・・・・。たぶん一生考え続けることになりそうだ。

 この夏、再び福井県の三國という湊町で芝居の公演を行う。
 出演者は10名、そのうち半分は東京から、半分は地元の方という編成である。
 3人の女優は、長女と同じ23歳。そのうち2人は東京の女優陣。
 福井という、彼女たちにとっては未踏の地での40日間のレジデンス。過酷な稽古の上、生まれて初めての他人との共同生活を強いられる。彼女たちにとってはいい経験になるに違いない。

 すでに東京での稽古は始まっており、彼女たちとよく話をするのだが、ついつい娘と比較をしてしまう。
 この子達が実の娘なら楽なのになぁ・・・とふと思うときがある。
 しかし、この子たちが実の娘だったら、それはそれでまた揉めごとが多いことだろうなぁ・・・。
 親子ほど歳の離れた女優達と過ごす夏の北陸。
 歳の差を埋めるには、こちらの表現に対する必死な思いを伝えていくしかない。果たしてうまく受けとめて頂けるのだろうか・・・。
 でもやるしかない。
 頑張る。

 そして、長女の千葉暮らしも始まる。
 お別れに、娘には「愛のひだりがわ」(筒井康隆著)をプレゼントした。今の娘には、いい本だと思う。何かを感じてくれればいいのだが・・・。
 三國の芝居の本番は9月。
 その時には、それぞれの報告ができると思う。
 娘も、三人の女優陣も、そして僕も、みんな子年。
 いよいよ闘いの夏に突入する。

 『けいせい仏の原』
 原作:近松門左衛門
 2007年9月8日〜9日
 会場:みくに文化未来館

 さて、しばらくはまた芝居漬けである。

2007.8.2 掲載

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