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第107回 父娘の関係
前々回、長女が自己啓発セミナーにひっかかりそうになった話を書いた。
その後日談を少し話そう。
長女はセミナー代の15万円を友達からの好意で払って貰い、そのセミナーに参加をした。友達関係なのに15万も払う方も払う方だが、払って貰う方も払って貰う方だ。まずその関係性からおかしいのだが、彼女が友達と言うからそうなのだろう。でも、友達関係で、15万も払うだろうか? たとえ友達関係だとしても、相手の男には下心が見え見えだと思うのだが・・・まぁいい、その話はここでは省こう。
で、友達が払ってくれた15万以外、娘は組織に一銭も払っていないと思っていたのだが、これが違っていた。実は、セミナー初日に、次回のセミナー代の一部、3万5千円を取られていたのだ。まったくもってバカみたいな話だ。
長女はこの3万5千円をなんとか取り返したいと言っているらしい。次女は、社会勉強代だと思って忘れなさいよ、と言っている。僕としては、どちらでもいいから好きにしなさい、というスタンス。社会勉強代だと思って忘れるもよし、組織に向かって闘うもよし、しかし、闘う場合は覚悟をしないと負けると思うけれど・・・。
娘がひっかかった自己セミナーには、高校生を対象にしたコースもある。この場合、親や親戚がひっかかっていて、そのまま子供たちを行かせるケースが多いと聞く。親がひっかかっては元も子もないのだが、実際そうなっているのだから仕方がない。実に巧妙な罠だと思う。
この一連の自己啓発の話を、大学の授業で生徒の前で話してみた。案の定、自己啓発という言葉そのものを知らない。
「君達を大人が騙そうと思ったらイチコロだから、もっと物事をよく見つめて生きて行きなさい」
そう言ってみたが、果たしてちゃんと言葉が届いているかどうか心許ない。若者たちはいつの時代も他者への依存度が高いが、特に最近はその傾向が強いように思う。
親に依存、ネットに依存、学校や会社に依存。何かに依存していれば、人生何とかなると思ってらっしゃる。そんなに人生なんて甘くないのに、いつまでもそう思っているらしい。
我が家の長女もどうやらそのたぐいのようだ。当年とって23歳。お金がないのに、遊びに出掛ける。意味もなく人とつるむ。やりたいことが見つからない。
もちろんそのことに口を挟むつもりもないし、援助などは一切しない。
「自分の人生なのだから好きにすればいい、だけど助けたりはしないよ」
常々そう言ってきた。
就職先も上司と合わず、一年も持たずに辞めた。新しいバイト先は母親の知人のところ。せっかく親のテリトリーから外に出たのに、母親のテリトリーの中に逆戻り。
友達と部屋をシェアすると言って、近所で友達と暮らし始めたのが一年前。これも長くは続かず、七月一杯で解消。僕のところに戻ることができず、今度は母親の住む千葉でやっかいになるという。またまた、母親にSOS。まぁ、それを受け入れる母親も母親なのだが・・・うーん、実際どうしたものかと思う。
結局、親の元で、自立ゴッコをしているだけにしか見えない。
自由の切符の裏側には「孤独」という文字がシッカリと刻まれているのだよ、さんざんそう言い聞かせてきたはずなのだが、おわかりになっていなかったらしい。
実は、自己啓発にひっかかりそうになったときに考えたことがある。
このまま放っておこうか・・・痛い目を見て、辛い思いを自覚すればいいのではないのか・・・ここで親が気づかせるのは、本人にとって本当はよくないことじゃないのか・・・・そう思ったのだが、やっぱり放っておけなかった。僕も甘い親の一人でしかなかったのだ。
「どこに居ても、ここが私の居場所、と言える場所がないの」
そう長女は言う。
それを見つける旅が人生だよ、と僕。
「私はね、誰かに養われたいの」
と長女。
なんと短絡的な甘ったるい願いなのだろう。自分の娘ながら、腹が立つ。養われて生活をするのが簡単なことだと思っている。楽な人生があるのなら、いますぐ教えて欲しい。まったくもってバカバカしい。
もし長女のその夢が叶ったら、次に出る台詞はこうだろう。
「私には自由がないの」
あーあ、自分の娘ながら、つまらなすぎてイヤになる。
きっと娘の母親はこう言うだろう。
「あなたがそういうことばかり言うから、彼女は生きづらくなってしまったのよ!」と。
まぁ、それもないとは言わないが、生きづらくしているのは娘自身であって、こちらのせいではない。彼女には彼女の生き方があるのだし、僕には僕の生き方があるのだよ。君達のことを気にして、言いたいことも言えずに生きるなんてまっぴらごめんだよ。声を大にしてそう言いたい。あっ、駄目だ。なんだか愚痴になってきてしまった。
父娘の関係は難しい。父として、娘にどう口を出しても、彼女にとっては、縛りや説教に聞こえてしまうのだろう。僕としては、同じことを、生徒や若者達に言い続けているのだが、親子の間では、素直に受け入れてもらえないらしい。まぁ、無理もない、僕は、彼女の母親を捨てた悪い父親なのだから。もっともっと、苦しみ、もがき、そこからひとつずつ何かを学びながら成長して行くのが人生。父親として僕が娘に望むのはそんなところだ。娘達よ、早く自立をして、元気に生きて欲しい。
と、ここまで書いて僕の23歳はどうだったか振り返ってみた。
結婚をし、芝居の世界から足を洗い、親戚の文具店でサラリーマン。
うーん、あまり大声で自立とは言えなかったかもしれないが、それでも日々悩み、苦しみ、生きるってなんぞや、死ぬってなんぞやと考え続けてはいた。
酒を飲むことも遊ぶこともなく、会社から帰ると本やビデオを見て、足を洗ったはずの表現というものについて、客観的にいろいろ思いを巡らしていた。
表現の、何がそんなに自分の中にまとわりついてくるのか。いったん足を洗ったものの、表現と無関係な生活の中で、果たしてこの先生きていけるのだろうか?
しかし、これもきっと長女に言わせると、「暗い23歳」ということになり、「そんな暗い生き方はイヤだ」ということになるに違いない。
娘よ、もっともがき苦しみなさい。
そして、もっともっと想像力を持って生きなさい。
来年、君は24歳になる。
そう、父がお前に出会った歳になるのだから。
2007.7.17 掲載
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