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第106回 誕生日と死体
6月23日。
とうとう47歳になってしまった。寺山修司が亡くなった年齢である。
寺山修司は、僕が好きな劇作家で、唯一入りたいと思った劇団天井桟敷の演出家だった。
寺山修司のつくり出す劇空間に憧れ、いつか自分もドキドキする芝居をつくりたいと思ったのは20歳になったばかりのころ。
あれから、もう27年が過ぎてしまった。
なんとか芝居作りは続けてきたつもりだが、とてもじゃないが寺山修司の足元にも及ばない。
情けないとは思うが仕方がない。自分には突出した才能というものがないのだ。
しかし、ひとつだけ、寺山修司が成し得なかったことを自分はできるかもしれない。
寺山修司はもう永遠に48歳にはなれない。そう、彼が生ききれなかった47歳という年齢を全うし、48歳になることだ。
寺山修司が未体験の48歳以降、僕は何を考え、何をしていくのだろうか。恐くもあるが楽しみでもある。
誕生日の日、いつものように山田風太郎の「人間臨終図巻」を開いてみる。
47歳で死んだ人々の欄を覗く。
ネルソン、新島襄、川上音二郎、大正天皇、小山内薫、アラビアのロレンス、夢野久作、コルベ神父、カミュ。
ネルソンは旗艦の甲板で「やられた、背骨だ」と言い、腹膜炎の新島襄は「天を怨みず、人を咎めず」と言い、川上音二郎は客のいない舞台の上で死に、大正天皇は、病気の本態は脳細胞を圧迫するという妖病「アルツハイマー」ではなかったかと言われ、小山内薫は長年にわたる演劇活動の過労で倒れ、ロレンスはオートバイのハンドルを切り損ねて、夢野久作は実父と同じ脳溢血、コルベ神父はアウシュビッツの「飢餓教室」にて死亡、カミュは車のスリップ、カミュは死ぬ前年「自分の人生は始まったばかりだ」と語ったという。
人の死は様々である。
誕生日の翌日、池袋に行った。
イタリア人アーティスト、Kinkaleriの映像作品に参加するためだ。
路上に人を立たせ、そのまま横に倒れ、死体となる。その死体の横を、日常的に人々は通り過ぎていく。その一部始終をビデオで撮り、作品にする。
そんなKinkaleriの作品は世界中のあらゆる都市で撮られている。
死体の役で参加したのは4人。僕の撮影は最後だった。
途中、通訳の方が行方不明になり、見つかるまで時間つぶしにみんなで道路に面した金物屋に入った。
70過ぎのハゲオヤジが店の中に居た。
金物屋のハゲオヤジは元気な短パン姿、というよりトランクス姿。
あきらかに下着のトランクスで、風貌はあのツルッパゲの名優、殿山泰司にそっくり。
「あんたどこの国?」
気軽にKinkaleriに尋ねる。
日本語がわからないKinkaleriにかわり、
「イタリア人ですよ」
と僕が答える。
「そうか、ジーナロロブリジーナだな」
と往年のイタリア女優の名をあげるので、僕も対抗して、
「シルバーノ・マンガーノもいるよ」
と言うと、
「お前はスケベだねー、よく見るとスケベな顔してるよ」
と返された。
「スケベな顔」と言われたのは生まれて初めてだったので、かなり新鮮だった。
Kinkaleriが、金物屋のオヤジにも出て欲しいと言うので交渉したら、
「絶対に嫌だ」
と断られてしまった。
撮影が再開。
僕の番がやってきた。場所は池袋のロサ会館前。
ロサ会館と言えば、僕が20歳くらいのころ、よくこのビルの飲み屋で芝居の打ち上げをやった場所。
打ち上げで飲み過ぎたので、ロサ会館前のパチンコ屋の前に座り込み、酔いを覚ましていたことがあった。
その時、突然、大きな音を立てて、パチンコ屋のガラスが割られた。
ビックリして顔をあげると、目の前に顔中血だらけの少年が立っていた。
ほんの数秒、彼と目が合った気がした。ささくれだった瞳が印象的だった。
少年は、ポケットから何かを取り出し、再びガラスに投げつけた。
さっきより激しくガラスは割れた。投げたのはパチンコ玉だった。
すぐさま警察がやってきて取り押さえた。かれは無抵抗で警察に引きずられていった。
少年の瞳に映ったロサ会館のピンクが今も脳裏に焼き付いている。
久しぶりのロサ会館は、いまだにピンクだった。
だけど当時に比べ、そのピンクはかなり剥げ、建物の老築化も激しく進み、無惨な姿になり果てていた。
あれから27年。
ロサ会館のように、自分の姿も変わり果ててしまったのだろうか。
あのささくれだった少年が立っていた場所に、今、僕は立っている。
Kinkaleriのスタートの合図がかかる。
カメラマンの手が上がる。
僕は静かに倒れ、
そして、
死んだ。
2007.7.2 掲載
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