第105回 娘からの感謝の言葉
「お父さんいままで育てくれてありがとう・・・・」
とある土曜日の深夜。長女が家にやってきて、突然僕の目の前でそう言った。
娘が生まれて23年。感謝の言葉を貰ったのは初めてだった。
「私にとって、今までお父さんは、お母さんや私たちを苦しめる怖い存在でした・・・」
「まぁ、父親の存在って、どこの家でもそんなものじゃないのかなぁ・・・」
「でも、今日、それが違うんだってことがわかったの・・・」
長女の目から大粒な涙がこぼれていた。
普通なら親子の美しい和解の風景になるところだが、疑り深い僕には、ちょっと素直に受けとめることが出来なかった。大粒の涙が流れる彼女の瞳に、なんだかフィルターがかかっているように感じたからだ。
僕は俳優でもあり演出もしている。いろんな人間の涙を見てきた。素直な涙とフィルターがかかった涙の区別は感覚的にわかる。
長女からの着信が僕の携帯にあったのはその日の夕方。着信履歴に気がつき、何度も折り返すのだが電話が全然繋がらない。
仕方がないのでメールで用事を確かめる。
〈なにか、急用ですか?〉
しかし、待てど暮らせど返信はない。
そのうち、頭にきたので怒りのメールを出す。
〈お前が電話をしてきたのに、電話もメールも返さないとはどういうことだ!いいかげんに返事をしなさい!!〉
嫌な事件が続く世の中、どこかで変な事件に巻き込まれているのじゃなかろうかと、年頃の娘を持つ親としては心配である。
夜十時過ぎ、娘から電話が入る。
「ちょっと、話したいことがあります。ちゃんと会って話したいから、帰りに寄ります。起きていてください」
で、娘が来て言った言葉が冒頭のそれである。
まぁ、長女の言葉と大粒な涙にわずかな不信感を持ちつつも、父親として認めて貰った喜びもあり、その日はお互い小さなシアワセを抱きつつ長女は帰っていった。
僕は床につき、長女の今日の言動を思い返してみた。
突然の父親肯定、そして大粒な涙・・・。
うーん、やっぱりどうも、どこか嘘くさい。どこか、誰かにやらされている感がある。
さっそく次女に探りのメールを入れる。
〈お姉ちゃんが、「お父さんいままで育てくれてありがとう・・・・」って急に言いに来たけど、あいつ、変な宗教にでもハマっているのか?〉
〈知らないよ。たとえ宗教にハマっていても、本人がシアワセならいいんじゃん!〉
〈ちょっと待て、お前、本当に何か知らないか?あいつ、今日も全然連絡がつかなかったんだけど・・・〉
〈そういえば、なんかセミナーに行ってるって言ってた〉
何!セミナー?!
これだ!!
長女の異変はこのセミナーに違い ない!!!
〈どんなセミナーだ?〉
〈知らないよ、明日の日曜日も行くって言ってたよ〉
うーん、困った・・・・。
仕方がない、明日長女本人に確かめるしかないか・・・。
次の日、長女にメールを出す。
〈急用です。連絡下さい。父〉
夕方、長女から電話が来た。
「お前、なんかセミナーに行ってるんだって?」
なんとなく聞いてみた。
「うん」
「なんというセミナー」
「○○○・・・・というところだけど」
「そうか・・・そこ大丈夫なのか?」
「別に、何もされていないけど・・・」
「わかった。今日の帰りに又家に寄ってくれるかなぁ」
「いいよ。セミナーが十時まであるから、遅くなるけどね」
「遅くてもいいから必ず来なさいよ」
電話を切ってすぐ、ネットでそのセミナーを調べてみた。
やっぱりそうだ、自己啓発セミナーだ!。
そして知り合いのライターに電話をして確認する。
間違いない。明らかな洗脳系セミナーだった。
この手のマルチ商法が流行ったのはいつだったか・・・。とにかく娘の年齢の連中は、自己啓発セミナーの存在自体知らない。全くの白紙に近いのだ。
そんな若者達に、今また自己啓発セミナーの魔の手が伸びている。
娘の行ったセミナーを調べてみると、いろいろな事がわかってきた。
最初のセミナーは金土日の朝から晩までと火曜日の夕方から夜までの約三日半。最初の三日間は、セミナーの安全性を植え付けながら、価値観の転換を図るという。
娘が、これまでは「母や自分たちを苦しめる怖い存在でしかなかった」父親の僕に対して、「お父さんいままで育てくれてありがとう・・・・」と言いだしたのは、このせいである。
セミナーの主催者側は、目に見えないコントロールもする。
尿と食事などの生理現象コントロールだ。人間というもの、生理現象をコントロールされると、自然にコントロールされやすくなるそうだ。
そして、最後のツメは一日おいての火曜日。
このときに次回のセミナーへの勧誘、そして、今回のこの喜びを他の人たちへも教えてあげるべき、という洗脳が行われるらしい。
これが、なぜ一日おいた火曜日に行われるかというと、火曜日というのは一週間の間でいちばん「何も考えない日」だそうで、その日にトドメを差すのが非常に効率がいいそうだ。
最初のセミナー受講料は三日半で15万円、次が25万円とだんだん上がっていく。
娘に聞いたところ、すくなくとも80人は来ていたと言うから、安く見積もっても三日半で1200万円。ボロい商売だ。
「お前、よく15万もあったな」
家に寄った、娘に聞いてみた。
「友達が出してくれたの」
「じゃあ、なにか、その友達の自腹か?」
「たぶん」
「人から意味なく15万も払ってもらうのは今後ヤメなさい。ろくなことにならない」
「わかりました」
「お前は洗脳されやすいことを自覚しなさい」
「はい」
「火曜日に行ったら、今度はお前が自腹を切って、他の人を誘うようになるよ」
「怖いね」
「怖いよ」
その後、自己啓発の怖さを延々話し、なんとか娘のマインドコントロールは解け(?)、最終日の火曜日は出席しないことになった。
「お父さんいままで育てくれてありがとう・・・・」
これが、彼女の本心から出た言葉であれば本当に嬉しいけれど、人から誘導されて出た言葉は貰っても嬉しくも何ともない。
「父親の事なんて一生嫌ってもいいからね」
最後に娘にそう伝えた。
そう・・・いくらお前が父を嫌おうとも、父がお前を嫌うことはないのだから・・・。
それにしてもギリギリ間一髪だった。
次の日、彼女の母親に電話をしてみた。
「お前、最近あいつに何か言われなかったか?」
「言われたわ」
「なんて」
「私はお母さんのことをズーッと恨んでいました、って!」
携帯を片手に僕が大爆笑したのは言うまでもない。
2007.6.16 掲載
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