第100回 夢の実現
今回は演劇を「作る」ということを書こうと思っていろいろ考えたのだけれど、よく考えてみたら、僕自身まだまだ「作る」ことに決着がついていなかったことに気がついた。曖昧な言葉で逃げれば、僕には演劇を「作る」ということがいまだによくわからない。
演劇を「見る」と言うことについてはあくまでも個人的体験だからまだいいけれど、「作る」ことは個人的体験だけではすまされない。そこにはいろいろな人間の思惑が入り込む。最初は作りたいものをただ作りたいだけなのだ、と青臭いことを言っていたが、作りたいものを自分の考え通りに作れたためしはないし、今ではどう引き算が出来るのかがテーマであったりもする。とにかくひと言ではとても語り尽くせないし、語り尽くすものでもない気がする。
「作る」ことは決して一人ではできない。そこには多くの様々な要素が含まれる。その状況や規模、作品、スタッフ&キャスト、関わった人一人一人の人生観によってもかなり異なってくる。「作る」ことで何を感じ、何を失い、何を得るのか。「作る」ことから受ける心の揺らぎの面白さに魅了されているのは事実だけれど、それだけではない。作品を通して自分を知る。もちろんそこには自分の嫌いな自己顕示欲も少なからずある。作品によって、その後の人との関わり方が広がるときもあるし、狭くなってしまう場合もある。それはその都度まったく違ってくる。なんだかここまで書いただけで、どんどんわけのわからないところに落ちていく。それが「作る」ことかもしれないし、そうでないかもしれない。
ひとつだけハッキリ言えるのは、僕は「作る」ことで人間(もちろん自分も含め)の業の深さを知り、知ることによってそこから多くのことを学び取る作業が好きだということと、自分の頭の中の抽象的なものをなんとか具象化したいという欲求が強いということ。
だから「作る」状況がある限り僕はモノヅクリを辞めないと思う。でも「作る」状況がなくなったら潔くやめる覚悟も同時に持っている。
今のところ僕にはとりあえずあと二本、作品を「作る」状況が幸運にも与えられている。だからあと二本はベストを尽くして「作る」ことにはなっている。でもその先のことはまったくわからない。あと二本で終わるのか、まだ先があるのかは神様しか知らない。先のことはまったくわからない、人生と同じだと思う。
春です。
ダルイです。
朝起きると背中がバリバリして痛いです。
午後3時過ぎになると気圧の変化で後頭部が重くなります。
夜は夜で、凝り固まった腰から背中にかけて暖かい風呂でほぐさないと寝られない状態です。
この時期はほんとうに身体がシンドイ。それに伴い気分も落ち込みやすい。気候が落ちつかないために、道行く人々も落ち着きがないように見える。またこの桜の満開前後は、友達や知り合いなどにも様々な不幸や苦労があったりもする。
先日も以前お世話になった映画プロデューサーのSさんが亡くなった。
Sさんの年齢はたしか僕より10歳は上だったと思うから60歳前後。亡くなるには早すぎる年齢だ。酔っぱらって下北沢の飲み屋の階段から落ち、そのまま救急車で病院に運ばれ、翌日に亡くなったそうだ。
Sさんと初めて知り合ったのは僕が20代の半ばを過ぎた頃。たしかSさんの事務所だったと思う。大きな体に大きな顔、そこに埋め込まれた二つの大きな瞳、その瞳がいつも濡れていたのが印象的で、ニコニコしながらも目の奥は決して笑っていない、映画プロデューサー特有の純粋さと山師のようないかがわしさを兼ね備えた人だった。
「いつか世間がアッと驚く映画を作りたい」
Sさんはいつもそう話していた。
仕事上のパートナーが自殺をしたときも、夢を捨てなかったSさん。
夢を追うことの出来る人間はステキだ。
Sさんはその夢を叶えることができたのだろうか。
でも、たとえ叶えることができなくても死ぬまで夢を追い続けることができれば、それはそれでシアワセに違いない。
Sさんはきっとシアワセに死んでいったに違いない、いまはそう思いたい。
Sさんの死を知らせてくれたのは、放送作家のJ君、44歳。
J君は都内のアパートで一人住まい。
先月、J君の隣家から出火。J君のアパートも炎に包まれた。J君は隣人の一人暮らしのオジさんを助けようと炎に突入したが、その甲斐なくオジさんは死亡。
J君は火傷を負い、右耳が難聴になった。
J君は30代まで役者だったか、夢やぶれて放送作家に転身した。放送界に身を置くようになっていくぶん胡散臭くなってしまったJ君。でも、自分の身を投げ打っても人を救おうとする、ひとりの人間としての正しい気持ちは失っていなかった。
「いつかいい作品をつくりたい」
そう言っていたJ君。あきらめずに頑張って欲しいと思う。
夢を実現できる人間とそうでない人間がいる。でも、夢を実現できる人間なんてそうそういるものじゃない。たいていの人間は志半ばで夢を追うことを諦めることになる。
問題はここから。
次の夢が見つかるまで、何を考え、何をするのか。
夢を諦めたことで、人生まで諦めないでほしい。
夢が終わったことで全てが終わってしまったわけではない。
僕らの世界では、仕事がうまくいかないからといって酒やドラッグに逃げ回る人たちが多い。
先が見えないからと言って、死にたいと呟く人たちがいる。
もちろん、誰でもそういう時期があるのは仕方がないことかもしれない。
でも、いつまでもそこには溺れないでほしい。次にくるのは肉体の衰弱か、死そのものしかないのだから。
人生に挫折は付きもの、挫折したときにこそ、じっくり自分と付き合ってみてはどうだろうか。
ダメな自分、ちっぽけな自分、どうしようもなく弱い自分。そんな自分を受けとめて、そのうえで、では何ができるのか、何をするのがいいのか、決して落ち込まずに焦らず考えてみる。
何もできない人間はいない。
きっと何かできる。
できるハズだ。
それを一つずつやっていけばいい。
そう自分にも言い聞かせ、僕は生きている。
今回で「不運から風雲」も100話を迎えました。
毎回同じようなことばかり書いてしまった気がする。
ごめんなさい。
こんな拙い文章を読んでくださっている皆さま。
掲載してくださっている編集部の皆さま。
ほんとうにありがとうございます。
これからも編集部から辞めろと言われる日まで書きますので、よろしくお願いいたします。
2007.3.30 掲載
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