第99回 首切りの話
前回で、演劇の「見る」ことについてお話をしたので、今回は「つくる」ことについて書こうと思ったけれど、ちょっと違う話をします。
みなさん、一年間に貰う名刺の枚数は何枚くらいでしょうか。それこそ、職種や会社でのポジションによってかなりバラツキがあると思います。
僕のような仕事の仕方をしていると、毎年いただく名刺の量がかなり違う。それでもバラツキがあるといってもたぶん50枚から500枚の間ではあると思う。
昨年は100枚強。もうすぐ新しい年度に入るので、昨年度の名刺の整理をしていると、まったく記憶がない名刺が6枚も出てきた。
もちろんこれまでにも記憶のない名刺は年に1,2枚はあった。でも、今年は6枚。ふだん付けている日記を辿ってみたりするのだけれど、どうやっても思い出せない。
6枚の名刺を前に、しばし腕組み。
これからは、名刺の整理は半年ごとにしないといけないなぁ・・・。うーん、知らない間に随分と歳をとってしまった、そういえば、老眼鏡もそろそろ買わないといけないし・・・。
先月、しばらく会うことのなかった知り合い二人に、立て続けに会った。
一人は某CM制作会社に勤める、僕より二歳上のAさん。以前、CMの仕事でお世話になったときに、サム・ペキンパー(「ワイルドバンチ」「ガルシアの首」などの監督)映画の話で盛り上がり、何度か食事に行ったりしたことはあるけれど、最近はメールのやり取りだけになっていた。
もう一人は某広告代理店に勤める、僕より一歳下のBさん。20年前は某有名女優のマネージャーをしていたこともある。
AさんもBさんも、僕のようにお腹にかなりの貫禄を出しながら、老眼鏡をそろそろ買わなきゃなぁ・・・と呟く中年真っ只中である。
「久しぶりに会って話しでもしませんか」
とAさんから突然電話が架かってきた。
出向いたのは、新宿の居酒屋。歳の近い僕とAさんは、久しぶりの挨拶もそこそこに、昔見たアメリカンニューシネマの映画や、学生服時代によく聞いた70年代ロックの話にさっそく花を咲かせた。
昔を懐かしむのはあまり好きではないけれど、たまにはいいものだ。お酒を飲まない僕も、久しぶりにする映画やロックの話に少しだけいい気持ちになり、気がつくとお互い大きな声で「スケアクロウ」という映画のアル・パチーノとジーン・ハックマンの友情について語っていた。
この映画、冒頭で文無しのアル・パチーノとジーン・ハックマンがそれぞれヒッチハイクの車をつかまえようとするところから始まる。もちろん二人はまったくの他人。場所はアメリカのどこかの田舎道。アイツよりも先に車をつかまえようと、お互い自分の車をつかまえるのに必死。しかし、車はぜんぜん通らない。たまに通っても、しがない男を拾ってくれる車はない。痺れをきらし、苛つく気持ちを抑えるため、ジーン・ハックマンはちびたタバコを銜える。でも肝心の火がない。たった一つの火が、ジーン・ハックマンの絶望に追い打ちを掛ける。そのとき横からアル・パチーノの手が伸び、ソッと火を貸してくれる。
ここから二人の切なく悲しい旅が始まる。ギスギスしていた二人は、旅を続けるうちに心をお互い開き、いつしか友情が芽生える。どんどん精神が病んでいくアル・パチーノをジーン・ハックマンは最期まで見捨てない。
アル・パチーノが尋ねる。
「どうしてオレを見捨てないんだ・・・」
ジーン・ハックマンが答える。
「・・・お前は・・・あのとき火を貸してくれた・・・」
このシーンを思い出し、僕もAさんもちょっとだけウルウルしてきた。
「お世話になった先輩がリストラされることになった。それを先輩に告げる役目がこっちに回ってきて・・・先輩には昔、仕事のミスをかばって貰ったことがあって、そのおかげで会社にいられることになって・・・」
居酒屋の暗めの明りでそれまで気がつかなかったが、Aさんの顔色はよく見ると、以前会ったときと比べかなり赤茶けているようだった。
「なかなか先輩に言い出せなくて・・・まぁ、近いうちに伝えるとは思うけれど・・・シンドイよー・・・まっ、そのうち自分も同じようにリストラを勧告される立場になるのだろうなぁ・・・」
いつか首を切られるかもしれない不安を抱えながら、会社のために我が身を捧げる。そんなサラリーマンの世界はつくづく大変だと思う。僕のような自由業の人間にはわからない深い悩みや苦労がそこにはあるのだろう。Aさんは長いため息をつき、うなだれる。
僕は長い間リストラとは無縁の生活を送ってきた、と思っていた。
でもよく考えてみると、僕の生活なんか日々リストラ、日々失業中だ。
役者をやっていた頃なんて、一ヶ月スケジュールを開けて待っていた映画の撮影がクランクイン直前に制作中止、決まっていたテレビのレギュラー番組のキャスティングが土壇場で総入れ替え、そんなことはよくあった。
安定した生活なんかしたことはなく、一年後のスケジュールまで決まっていたことなんて何回あっただろうか。じっさいのところ、よくて半年先、普通で二ヶ月先くらいまでしかスケジュールはわかっていなかった気がする。
この映画が終わったら仕事はあるのだろうか? このテレビ番組が打ちきりになったら無職になってしまうのだろうか? そんな不安を毎日、何十年も抱えて生きてきた。
ほとんどその日暮らしと言っていい生活。それでも死なずに何とかなってきた。だからこの歳になっても、どこかで「人生なんとかなるさ」と極楽トンボのような生き方をしている。それがいい生き方とはもちろん思ってはいないけど、決して悪い生き方でもないと思っている。
人間にとって安定した生活なんて果たしてあるのだろうか。こういう生活さえしていれば生涯安定、そんな生活があったら教えて欲しい。結局人間は死ぬまで安定することなく、苦しみ悩み、そしてそんな中でも楽しんで生きていくしかない気がする。
僕はいつも首を切られる方だった。そのときいつも思ったのは、首を切る方にもきっと苦しみはあるにちがいない、だとしたら切られる方がいい。バッサリと切られれば、ある意味スッキリする。あまり悩む暇もなく、否応なしに次の展開を見つけるしかない。
しかし切った方はどうだろう。イヤな感じが後味として残り、それが心のどこかに深く沈殿し、いつまでも悔やんだりする。そんなことも時にはあるに違いない。できることならそれだけは避けて通りたいと、今でも思っている。
Bさんに会ったのは渋谷の109付近の道端。会社に戻る途中、僕のことを偶然見かけたそうだ。
「ちょっとお茶しませんか」
そう言われて、近くのカフェに入った。
昼間の渋谷のこ洒落たカフェ。客層は若い女性客が中心。その中に中年男が二人。かなりみっともない光景。
「来月で会社を辞めることになりました・・・」
「えっ?なんで?」
「・・・まぁ・・・首です・・・」
「なんかやったのか?」
「いえ・・・やっていません・・・突然言われました・・・」
「会社というものは、何も悪いことをしていない社員を勝手に首にできるのか?」
「・・・お前は、いらないと言われました・・・」
「ゴネないのか?」
「・・・ええ、やめます・・・」
「いいのか、それで」
「はい・・・それはもう決めましたから、ある意味スッキリしています・・・ただ・・・嫁に言ってないのです・・・なんだか・・・・言えなくて・・・」
彼には奥さんのほかに6歳になる女の子供がいる。
僕が知り合った当時の彼は女優のマネージャーだった。マネージャーのわりにチャラチャラしたところがなく、映画をよく見る勉強熱心な奴だった。そのうち好きな女性ができ結婚することになった。しかし、女優のマネージャーでは先行きが不安だと奥さんの実家に言われ、今の会社に潜り込んだ。
Bさんは一本気な熱いところがあり、あまり融通の利く男ではない。よく上司と衝突していたようだ。いちばん衝突を繰り返していた上司がどんどん出世していき、上司にとって煩わしい存在でしかない彼は、次第に爪弾きにされ、今回の結果に至ったと言う。
「正直言うと苦しいです・・・自分一人ならなんとかなるのですが・・・」
「再就職先は見つかったのか?」
「まだです・・・とりあえず辞めてから探します・・・」
「そうか・・・、でもお前は健康だし、仕事はなんとかなるだろう」
「ええ・・それよりも・・・早く嫁に言わないと・・・」
「オレが言ってやろうか?」
「最悪そうしていただけると嬉しいですが・・・自分でなんとかしてみます」
「うん、頑張れ」
「あれですよね・・・首を勧告されたことよりも、そのことを嫁に伝える方がシンドイです・・・」
また一人、イヤな話を伝えることを気に病んでいる男がいた。
勇気を持って話をしても、それが良くない報告であれば、受けとめた相手は決していい感じを受けることはない。だから、時を選んで伝えたい。それが自分に取って大事な人であればあるほどその思いは強いだろう。
僕も以前離婚をしたとき、そのことを子供達になかなか言い出せない時期があった。伝えた後の子供達の悲しい顔を見るのが怖くて、伝えるまでに何日もかかった。
お互い傷が付かないように話を伝える方法はないだろうか、そう考えるから、みんなウジウジと悩む。
世の中、無傷ではいられない。人間生きていれば、誰かが必ず傷つくことは避けられない。でも傷を最小限に食いとどめることは出来る。そこを考えていくしかない。
首を勧告しなければならないAさん。首を勧告され、それを嫁に伝えられないBさん。お互い悩み苦しんでいる。
それにしても、会社の首切りの話をするほど、いつの間に僕たちは歳を取ってしまったのだろうか。将来、そんな話をお互いすることになるなんて、出会った頃は想像もしなかったはずなのに・・・。
映画「スケアクロウ」の中でこういう台詞がある。
「夜明けは、どこにいても同じだ。子供の気分に帰れる・・・」
この台詞、アル・パチーノとジーン・ハックマン、どちらの台詞だったか・・・。
さっきからまったく思い出せないでいる。
2007.3.14 掲載
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