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第86回 僕の好きな季節

もうすぐ夏が終わる。
  中学・高校と僕は愛知県の田舎の学校に通っていた。中学時代は真面目に柔道部で必至に汗を流し、高校時代はダラダラとした軟派な不良だった。
  まるで、正反対な中学時代と高校時代。ひとつだけ共通していたのは、夏の間、常に恋人がいなかったこと。
  なぜだろう。理由はよくわからないが、僕が女の子と付き合い始めるのは、決まって夏が過ぎてからだった。だから、女の子と砂浜を散歩したり、浴衣姿で花火に行くなんてことはいっさいなかった。

もちろん憧れはあった。同級生が女の子と出かけていく姿を見ると、羨ましくて嫉妬した。そのせいかどうかは知らないが、幾つになっても砂浜と花火が苦手である。砂浜と花火を見ると、なんだか気分が塞いでしまうのだ。
  ああ、今年の夏も彼女がいなかった・・・。
  今思うと、どうでもいいことなのに、当時の僕にとっては大きな問題だった。彼女がいないことは、学生として何かが欠けている気がしてしかたなかった。

別に彼女を作るチャンスがなかったわけではない。何度か、お付き合いのキッカケはあった。しかし、どうゆうわけか、その気になれない。何て言えばいいのだろうか・・・そのー・・・夏場の僕は色恋に走れないのである。

--人間が秋になると寂しくなるのは、動物の持つ本能的なモノである--
  という言葉を聞いたことがある。これはつまり、春夏は繁殖期で、動物は生(子孫)を増やす努力をし、秋から冬にかけては、いわゆる死に向かっていく準備の時期にあるそうだ。

これが、僕の場合は逆。秋冬の方がとても人恋しく、僕にとっての繁殖期。
  春夏は、身のまわりで亡くなる方が多いせいか、死の感じがまとわりついてしかたがない。したがって、どうしても春夏よりも秋冬の方が断然好きだ。

これから、僕の好きな季節が到来する。蝉の鳴き声とクロスして、秋の気配が近づいてくる。もちろん人恋しさを伴って。

この「人恋しい」気持ちが、僕の場合「表現」に向かう。人恋しければ恋しいほどいいモノができるような気がする。
  僕にとって表現は、どうしようもない人恋しさを埋めるためでもある。表現は面白い。自分の欠点を分析し、埋め、そしてたまに癒してくれる。表現に出会っていなかったら、僕はどうしようもない人間になっていたに違いない。これまで、僕に表現をあきらめさせてくれなかった人々に、今さらながら感謝の気持ちで一杯だ。

今秋もまた芝居作りにあけくれる。
  福井県の三國という港町での公演。この公演は地元の方々と東京の俳優&スタッフとの共同作業。プロデューサーは僕の十年来の友人、福嶋輝彦という人間。彼の出身が福井なのである。

寂れかけた三國という港町をなんとかもう一度なんとかしたい。そう感じた彼は、二年前、三國という町で町興しのプロジェクトを始めた。そして、その集大成が今度の芝居だ。

僕らが作る芝居で、地元の方々に再び活気が生まれれば・・・・。そんな気持ちを胸に、僕らは芝居を作る。
  もちろん地元の中では、この芝居について賛成の人もいれば、反対の人もいるだろう。
  たかが芝居。でも、その共同作業の中には、たくさんの苦しみと歓びがある。その思いを地元の方達とどこまで共有できるのだろうか。

日本の地方が嫌いで飛び出した僕が、27年ぶりに地方に身を置き、生活をしながら芝居を作る。
  慣れ親しんだ都会での表現活動が、果たして地方で通用するのかどうか。この歳になって、新たな旅がまた始まる。

2006.8.30 掲載

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