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第83回 カーテンコール

─「才能がない」というのは、自分には「才能がない」ということを直視できないことである─

最近、こんな文章と出くわした。なるほど、まことにそうである。
 「才能がない」人間は、自分に「才能がない」ことを認めようとしない。そのくせ他者や他の事に、できない言い訳を探す。逆に「才能がある」人間は己の才能のなさを自覚し、何が自分に足りないかを知り、それを補う努力に惜しみなく力を注ぐ。ようは、これができる、できないが、才能のある、なしに関係してくるということだ。

現在、7月20日から公演する「ウミユカバ ミヅクカバネ 2006」の稽古の真最中である。昨日もラストシーンとカーテンコールの芝居を付けたばかり。

カーテンコールを付けていて面白いことを発見した。芝居のできる役者はカーテンコールを嫌がり、できない役者はカーテンコールが大好きなのだ。僕が舞台に立っていたときはどうだったかというと、いつも演出家に「どうかカーテンコールは失くして欲しい」と御願いをしていたほど、カーテンコール嫌いだ。でも、僕は決してできる役者ではありませんでしたが(笑)。

話を戻します。
  できる役者は、こんな演技ですみません、と謙虚に御辞儀をするが、できない役者はたっぷりと、そう、まるで美空ひばりさん(もちろん美空ひばりは素晴らしい方です)のように深々と御辞儀をする。

「もうすこしアッサリと御辞儀をしてくれないかなぁ」
  そう云うのだが、いざ通し稽古(芝居の始めから終わりまで、止めずに通す稽古)では毎回ゆっくりたっぷりやってくれる。

なんだろう? この意識は?
  本人にちょっと聞いてみた。
  「なんで、そんなにたっぷりやるの?」
  「わかりません・・・」

嘘だ。何らかの意識がないと、そんなにたっぷりはできないはず。
  きっとこういう事だと思う。
  以前、どこかの芝居を見たときのカーテンコールが目に焼き付いているのだ。
そして、そのときのカーテンコールの役者達が、とても輝いて見え、素晴らしく映ってしまっているに違いない。

芝居はダイコンでも、カーテンコールは大女優。そんな人がたくさんいる日本の演劇界。うーん、考えるだけでも恐ろしい。

日本人の悪いところは、たとえその芝居がつまらなくても、カーテンコールでは、必ず拍手をするところ。僕なんか、見た芝居がつまらなければ、絶対に拍手なんかしない。するもんか。でも、最近はしてしまうなぁ・・・・・。

しかし想像してみる、自分の演出した芝居で拍手が来なかった時のことを。そのときはきっと、拍手ができないほど良かったか、悪かったかのどちらかだ。前者なら嬉しいことこの上ないが、後者ならこんな恐ろしいことはない。やっぱり、義理でも拍手はもらっておくべきなのだろうか。
  うーん、どうだろう。

さあて、今回の芝居はどうなるか。

2006.7.18 掲載

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