第82回 若者たちの言い訳
今の若者たちは言い訳が多い。僕はそう思っている。
もちろん、中には言い訳なんかしない若者も現実にいるのは知っている。でも、僕が今接している若者たちの多くは、よく言い訳をし、自分を取り繕う子が多い。それは男女問わずに。
僕の20代はどうだっただろうか。20代はじめは劇団。その後はサラリーマン。そして24歳から俳優業へ。全てが修行で、憶えなくてはいけないことが多く、目上の人に言い訳なんかする暇もなかった、というのが正直なところだろう。
それがどうだろう。僕が接する若者たちは、ひと言注意をすると、3つは言い訳をする。それもどうでもいいような言い訳を。
はじめはどうして言い訳ばかりするのか、よく解らなかった。でも、よく観察していると、解りはじめてきたことがある。それは、他者を信用できない、もっと言うと、自分すらも信用していない、いや、自分のことすらもわかっていない、ということ。
人間という生き物は、なにかを信用しないと生きていけない、と僕は思っている。ましてや、自分のことをよく理解し、まず自分自身を信用することをしないと、これは大変なことになる。
もちろん、過信しすぎるのは危険。過信は依存になり、それこそ自分を見失う。このさじ加減がまるでできていない。信用しないか、依存するか、どちらかに偏ってしまっているのだ。要は、なにもない自分を見透かされるのが怖いのだろう。だったら、中身を創ればいい。それが人生なのだから。でも、それはしない。どこかに落ちているか、ネットかなにかで売っているとでも思っている。冗談じゃない(笑)。
先日も自分のワークショップの参加者にダメ出し(演出家が演技者の演技に対して、駄目だと思うことを伝えること)をしていた時のこと。
「要するに、自分の中にある感情を表に出せないとイイ役者にはなれないよ、感情が出てこないのなら、役者なんて早く辞めた方がイイ」
「あきらめません」
「なんで」
「悔しいから・・・・」
「何に対して悔しいの」
ここで、もう言葉につまる。そもそも役者になりたい動機じたいきっと曖昧なのだ。
相手が黙り込んだので、もう少し突っ込んでみる。
「お前は、オレに何を教えて欲しいの、何を教わりたいの」
「芝居が上手くなる方程式」
おいおい、いい加減にしてくれ(笑)。そんな方程式があったら苦労しないよ。
方程式なんて、自分で見つけるもの。そのために、まず自分を否定も肯定もせずに理解し、自分の生き方を見つけること。自分の生き方さえハッキリすれば、自ずとそこからいろいろなものがきっと見えてくるはず。そうすれば自分なりの方程式ができ、そこからまた経験を積んで、そしてまた方程式を微調整していけばいい。
そう言ってあげるのだが、言葉ではわかっても、腑に落ちて理解はできないらしい。それもよくわかる。だから、まずは闇雲でもいいから演るしかないのだ。演ってみて、自分の演技は駄目だと自覚することからはじめればいいのだ。なのに今度は演ってみることをしない。怖いのだ。否定されることが怖いのだ。演ってみないことには始まらないのに怖がる。演技を否定しても、それは演技を否定しているだけで、そいつの人格まで否定しているわけではないのに、自分の人格までも否定されているように思うらしい。うーん、困った困った。
でも、僕は演らせる。次に来るのはこうだ。こういうことは演ってもいいですか?演らない方がいいですか?そう、保険だ。保険を欲しがるのだ。こうこうこういうことを演ってもいいですか。これは、こうこうこういうことをやっても否定しませんよね。演る前に保険を欲しがる。またまた困った。
「とにかく、なんでもいいからヤレ!!!」
やれやれ、今日も稽古場に中年の怒鳴り声が響く。
公演本番まで、あと20日。さてさて、どうなりますやら。
2006.6.30 掲載
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