ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第78回 久世光彦さんの思い出(その2)

きっちり30分が経ちました。
  ようやく、あの苦みを潰したようなユダヤ人顔が会議室に登場しました。小林薫さん、芦田伸介さんらと軽く言葉を交わしています。笑顔も多少見えます。

今日は機嫌がいいのかな。機嫌がいいのなら、今日は怒られることはないかもしれないな。少しだけ僕の緊張が解けました。
  「えー、みなさんおはようございます」
  久世さんが口を開きます。
  「えー、実は主演女優が、今朝、突然降板しました」
  な、な、なんだって!主演女優が降りた?!

そういえば、さっきから主演女優の姿が見あたらないなぁ、とは思っていたのですが、まぁ、忙しいから遅刻かな、程度にしか考えていませんでした。それが、降板とは・・・・・・・。
  「えー、出来る限りの説得はしたのですが、無理でした。この作品は延期させてください」
  久世さんが全員に頭を下げました。なんともしれない空気が会議室を包みます。

「よくわからないなぁ」
  重苦しい空気の中、芦田伸介さんが発しました。
  「もし、本当にそういうことなら、なぜ本人が謝りに来ない。もしくは、事務所の社長なり、マネージャーがなぜ謝りに来ない。よくわからないよ。今日、ここにこうやって集まっている人間のことをなぜ考えない。延期というのは、結局中止ということだろ。ここにいる若者の中には、生涯でいちばんいい役に付いた人もいるかもしれない。この作品が今後のいいチャンスになったかもしれない。そんな人間達のことを彼女や事務所の人間はどう思っているのかね。僕にはよくわからないよ」
  さすが、「七人の刑事」。重苦しい空気が、さらに重くなってしまいました。

久世さんはいいわけするように、
  「いえ、この作品は絶対にやります。延期です。中止ではありません。そのときは絶対にこのキャストでやります。全員使います。それは約束します」

再び沈黙が訪れます。
  なぜなら、久世さんが、どう言おうと、一度延期になった番組が、再び日の目をみることはほとんど無いことを、皆知っているからです。

しばらくして、僕の正面に座っていた人が手をあげました。
  「あのー、ひとついいでしょうか」
  よくみるとかなりお歳を召された方でした。
  えっ?この人は誰だろう? 俳優さんなのだろうか?
  今の今まで、そこに座っていることさえ僕は気がついていませんでした。かなり前から、まるで気配を消すように、ジッとそこに座っていたようです。

「わたし・・・この役がやりたい・・・・・この、最後に気が狂って銭湯の煙突に登っていく老人を、  演じてみたい・・・・演じてみたいのです・・・・」
  ああ、俳優さんなんだ。
  そうか、この老男優さんが、気狂い爺さんを演じるんだ。
  「御願いです、この役は是非、私にやらせていただきたい・・・・是非・・御願い致します・・・」
老俳優は涙をこぼしていました。

「もちろんです。必ずやっていただきます。そのためにも、作品は再び必ず作ります。この役は田中春男さん意外に考えられません」
  田中春男? 僕の正面に座って涙を流している老俳優は田中春男なのか!
  小津、黒沢、溝口らの作品に出演し、名脇役と言われた、あの田中春男なのか!
  ああ、田中春男が目の前にいる! あの、田中春男が! そうだよ、田中春男だよ!

僕は作品が延期になってしまったことよりも、田中春男という名優と同じ空間にいるという驚きと緊張に、なぜか「こんなことではいけない」という思いに襲われ、おもわず背筋をビシッっとしないではいられませんでした。

久世さんは何度も出演者やスタッフに頭を下げ、やがて顔合わせはお開きになりました。
  三々五々、出演者とスタッフが帰っていきます。
  田中春男さんは、あきらめきれないのか、しばらくジッとしていましたが、おもむろに立ちあがると出口に向かいました。

僕は後を追いました。
  「田中さん!」
  勇気を出して声をかけました。
  「僕も、田中さんの気狂い爺さんを演じる姿、見たいです」
  田中春男さんはジロリと僕を睨むと(なぜか睨まれたと思ってしまったのです)、
  「ありがとう・・・」
  ポツリと呟き、会議室を後にしました。老男優の背中は悲しく、寂しさに覆われていました。
  やりきれない気持ちを抱えながら、使われることがなくなった衣装を手に僕も家路についたのでした。

芦田さんも田中さんも、すでに鬼籍に入られている今、共演はなりませんでしたが、名優達の生き様に少しでも触れられたことを今でも嬉しく思っています。
  その後、この作品が再び作られた話は聞くことはありませんでしたが、僕は久世さんプロデュースの作品に1本だけ出演させていただきました。
  だけど、プロデューサーと俳優では、ほとんど口を利くこともなく、その作品の僕の演技が気にくわなかったのか、それきり久世さんとお仕事をすることはありませんでした。

そういえば、十年前くらいに一度、深夜の赤坂でバッタリお逢いしたことがあります。若い女性と意味ありげな感じでひっそりと歩いていらっしゃったので、お声はかけませんでしたが、なんだかひどく孤独そうな背中をしていらっしゃいました。

久世さんといえば、「時間ですよ」と「寺内貫太郎一家」、そして「向田邦子シリーズ」が有名ですが、僕にとっての久世作品は「悪魔のようなあいつ」と「あとは寝るだけ」です。「悪魔のようなあいつの」の沢田研二、「あとは寝るだけ」の堺正章と樋口可南子。どちらの作品もどうしようもない人間の持つ孤独というものが描かれていて、とても好きです。

それに久世さんは音楽を使うのも上手でした。「悪魔のようなあいつ」では「時の過ぎゆくままに」という名曲が番組の最後にいつも流れていましたし、日吉ミミが歌った「世迷い言」という名曲も久世作品で使われていました。最近、渚よう子という女性ボーカリストがカヴァーしましたが、こちらもいいデキだと思います。

久世さんが亡くなった日、風呂につかりながら、知らず知らずのうちに「あとは寝るだけの」の主題歌を口ずさんでいました。
  今でも記憶にあるのは、それだけ僕にとっては、すばらしい作品だったのでしょう。この普通の暮らしの中にある寂しさ、侘びしさが久世さんの真骨頂なのだと思います。

話はそれましたが、結局僕と久世さんとの出会いはとても中途半端な出会いであり、あまり面白いこともなく終わりました。だけど、とても印象に残るものであり、さすが久世光彦、僕の心になんらかの棘を残してくれました。
  もっと、いい話をしたかったのですが、こんな半端な出会いもまた人生です。
  合掌。

2006.4.30 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.