第69回 空白の時間
芝居が終わり、ようやく心の方も普段の落ち着きを取り戻しました。今は次の仕事まで間が開いている状態です。 そう、今の僕は、なんでもない人です。
俳優でも演出家でもない。ただの何でもない人。
表現に携わっている者として、この何でもない人でいられる空白の時間は非常に大切なものです。
僕はこの空白の時間に、たくさん本を読み、映画や美術を楽しみ、普通に生活している人々を観察します。
僕が他の表現者を見ていて興味が湧くのは、その人が何を考え、生き、そして何に向かって生きようとしているのかということ。
表現に関わる人の頭の中身は、たいていの場合、このような空白の時間に何をして、何を考えているかによって決まってくるような気がするからです。
僕の場合、この時間をどうやって上手に埋められるか、それが次の作品を作る上でかなり重要な要素になります。
もちろん、これも簡単なことではありません。この大事な時間には、必ずと言っていいほど邪魔が入るからです。
それは、自分は一体何者なのだろう? 自分なんか世の中に必要じゃない。
誰の役にも立っていない。いない方がマシだ。という、悲観的な考えです。
ついつい考えて込んでは、落ちていきます。
演出家なんて、芝居をやっている最中は、聞こえはいいかもしれませんが、いったん芝居が終わってしまえばただの中年オヤジ。 それも無職の中年オヤジ。
この響きは寒くなった年の瀬には非常にキツイものです。
役者をやっていたときもそうでした。
台本を貰ってから撮影がアップするまでは、自分は役者である、という自覚が少なからずあります。
でも、終わってしまえばただのなんでもない人。
次はあるのだろうか? この先、もう誰も相手になんかしてくれないのではないだろうか?
そんなとき、悲観的な思いで押しつぶされそうになり、自分が何者なのかわからなくなって、気が狂いそうになりもしました。
モノをつくる表現者にとって、いちばん大切な時間を自分の思い込みによって壊してしまう。バカなことです。頭の中の充電時間という表現の核をつくる上で大切な時間を自らの手で止めてしまうのですから。
でも最近、ようやくそんな悲観的な感じさえも楽しめるようになりました。
今は、なんでもない人・・・・・・・・・・・・そんな感じで呟いてみたりもする。
自分は、なんでもない人・・・・・・・・・・・なかなかいいものであります。
次もきっとある。
自信は相変わらずないけれど、そんな気持ちで生きております。
2005.12.17 掲載
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