第68回 感情の封印を解き放つ時
2005年11月20日、久しぶりの演出作品「14歳の国」が幕を閉じました。8月から稽古を始めて約3ヶ月半。18歳から26歳までの若者達と闘って参りました。
僕の演出方法は普通の演出家のそれとは多少異なります。役者の業(ごう)や生き様を演出家としての自分がどこまで背負えるか、ということが鍵になるのです。
なぜ、そんなことをする必要があるのか。
最近の若者達は、僕らの時代と違って、普段から感情を表に出せなくなっています。
僕らの時代は、人とよく喧嘩をし、怒り、泣き、そして笑いました。
ところが今の若者達は、皆と同じようにしか生きられない、あまり感情を露わにしない若者が多いように思います。それはそれで否定はしません。そうしないと生きづらいのでしょう。
でも、表現に生きようとする人間がそれでは困ります。喜怒哀楽、それらをキチンと表現してこそ俳優であり役者であります。そのためには、まず、己の中の感情と向き合うことが大切。感情を押し殺し、心のどこかに封印するのではなく、その封印を解いて表に出すことこそ表現の第一歩。
彼らをかかえ、なおかつどうやって本番に立ち向かわせるか。これに付き合うにはかなりの体力が必要です。以前の僕だったらまだしも、今は病気を抱えている身。いつ倒れてもいいように、演出補佐に信頼の置ける者をつけ、僕は稽古に挑みました。
「もっと感情を出しなさい」「あなたの感情はそれだけなのですか?」「それでは表現になりませんよ」
来る日も来る日も、同じ事の繰り返し。
彼らの悪いところは、リセットするのが早いところ。まぁ、今の世の中のことを考えると、そうでもしなければストレスで身体をヤラれてしまうのでしょう。
でも、前の日に言ったことが、次の稽古ではまったく「無かったこと」になってしまっている。また一からのやり直し。
これにはいささか参りました。それでも10月の後半、それまで週2回だった稽古から、ほぼ毎日稽古になった辺りから少しずつではありますが、無感情だった若者達から徐々に感情が出始めました。
中でも凄かったのは、18歳の高校生の女の子。彼女は、僕が講師で雇われている某俳優養成所のワークショップで拾ってきた子でした。自分で見つけてきた子なので、なにか俳優としてのセンスはあるとは思っていましたが。爆発的な感情を内に秘めていました。いったん感情が開くと止まらないのです。
普通の「悲しみ」とは違います。稽古場中を悲しみに巻き込んでいく、破壊的な「悲しみ」です。稽古が終わっても泣きやまずに、2時間近く、ズーッと大声で泣いていました。
このとき彼女の背中をさすっていて感じたのですが。
若者達は抑制している分、闇の部分が捻れていて深いのです。そう、彼女たちは無感情ではないのです。生まれたときから、感情を押し込める術を身につけさせられてきてしまったのです。
このときからです。芝居が上手く転がり始めました。彼女の爆発で、他の役者も自分の感情に気づき始めたのです。
それまで感情が開いていた人は、もっと揺り幅が広がっていったし、それまで感情を表に出せなかった人も、セリフを言いながら感情を出せるようになりました。彼ら一人一人から湧き出てくる感情の誕生に、僕は立ち会うことが出来たのです。
この瞬間です。普段の苦労が報われるのです。役者達が頑張って自分の壁を打ち破っていく。その姿は、青臭くもステキなものでした。
この先、彼らが俳優という職業に就けるかどうかはわかりません。でも、自分の壁に向かって、あきらめずに闘っていくことは、彼らの今後になんらかのプラスになることでしょう。
公演の最終日、あのアル中の青年も来たそうです。彼はどんな気持ちで、公演を見たのでしょうか。スタッフの話では、泣きながら帰って行ったそうです。
これからは逃げずに、頑張って生きていってほしい。心からそう願いました。
長かった僕たちの青い夏がやっと終わりました。
2005.12.1 掲載
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