第61回−番外編− 戸川純との約束
「いつか、二人でなにかやりましょうね」
この約束を僕はいまだに果たせないでいます。
相手の名前は戸川純。天性の女優、いや、表現者。
彼女が生まれたのは1961年の3月。早生まれだから、1960年6月生まれの僕とは同学年です。
彼女を初めて見たのは20代のはじめ。
山田太一のテレビドラマ「想い出づくり」の第1回の放送のことでした。
浜村純さん演じる悪徳商法の人間に「お金を返せ!」と文句を言いにくる主婦団体の一人。扱いは女優というよりエキストラ。
それなのに主婦の団体に混じった戸川さんは一人異彩を放っていました。
か細くて、中性的で、誰かにすがりつきたくてしかたがないほど淋しそう。
こんな不思議な女優さんが日本にいたんだ・・・・・・・・・。
彼女の毛穴から立ちのぼる異質な空気に打ちのめされ、その存在感は一瞬で僕の心を虜にしました。
それからしばらくして僕は劇団の舞台で初めて主役をやらせてもらいました。
戦時中の浮浪児たちを扱ったストーリーで、僕ものびのびと演じられた覚えがあります。
この芝居を御覧になって下さった故三浦洋一さんの勧めで、僕はテレビの世界に入ることになったのも懐かしい出来事です。
この芝居に戸川さんも足をはこんでくれていました。
ということはこの時が僕と彼女の「出会い」ということになるのですね。
面白いものです、人生は。
僕が彼女と正式に会ったのは20代半ばの頃、知り合いの紹介でした。
場所は目黒の喫茶店。
芝居の稽古の帰りだった彼女は、疲れているにもかかわらず、かなりの長時間語り合ってくれました。
そのときにでた言葉が、
「いつか、二人でなにかやりましょうね」
でした。
その後、僕は演出をするようになり、何度か彼女の企画を立て、話を進め、稽古まで事は運ぶのですが、いつも途中で頓挫。
悔しさだけが胸に残ります。
でも、何度か一緒に稽古をした彼女は素晴らしかった。
上手いとか下手くそだとかという領域を超えたもの。魂を使って役を自分の元に引き寄せる。
なんと表現すればいいのでしょうか・・・・・・・・。生身の肉体と心をさらけ出し、感情をむき出しにする。それも決してオーバーに表現するのではなく、あくまでもジッとそこに流れる空気の如く。
うーん、やはりうまく言葉にしきれません。
とにかく見ていて何度も震えさせられて、一緒に稽古をしているこちらは、感情がぐちゃぐちゃになり、その日の稽古が終わると、ドッと疲れ、気も狂わんばかりの寂しさに襲われるのです。
スタッフの中には身も心も彼女に持って行かれ、生きる屍と化してしまった者もいたほどで、とにかくそれだけ壮絶で激しい演技でした。
本番ができなかったのが本当に惜しまれます。
やがて月日は流れ、僕は病に倒れ、彼女の方もあまり仕事をされなくなりました。
でも、最近バンド活動を再開したとの情報を得て、ああ、また始めたんだ、
と自分のことのように嬉しく思いました。
人の心をわしづかみにするような演技。あんな演技ができるのも今の日本には彼女しかいないと思います。
彼女のような表現がもっと受け入れてもらえる日本になって欲しいと僕はいつまでも願い続けるでしょう。
戸川純さん。
この先、何年経とうとも、いつか、かならず二人でなにかやりましょうね。お互い生き延びてさえいれば、必ずやできると思います。あのときの言葉、僕はいまだに覚えていますから。
2005.8.15 掲載
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