第60回−番外編− 天才と呼ばれる俳優
今までに仕事を通じてたくさんの俳優のみなさんと仕事をご一緒させていただきました。その中で、僕自身、素敵な俳優さんだなぁ、と思える方はたくさんいます。でも、この人は天才、と思える方とは数えるほどしか出会っていません。
女優で言えば、藤山直美、戸川純、美加理。
男優で言えば、飴屋法水、江頭2:50、清水宏。
以上の6名です。
では、まずは女優さんからいきます。
藤山直美さんとは阪本順治監督の映画「顔」で共演させていただきました。
藤山さんの役どころは逃亡生活を続ける殺人犯。僕の役は藤山さんを最後の最後に偶然見つける島の駐在さん。
季節は夏。ロケ場所は大分県にある姫島という、信号がたった一つしかない小さな小さな島。コンビニもファミレスもない。パチンコ屋が一軒だけあるけど、土日以外は営業していなくて、数えるほどしかないパチンコ台はほとんどが数年前の型落ち。東京と比べるととてもじゃないが同じ日本じゃないみたい。20分もあれば自転車で島内を1周でき、島内唯一の信号のある交差点もほとんど交通量はない。なのに、島の老人たちは赤信号が変わるのをジッと待って渡っていく。きっと待つのを楽しんでいるに違いない。そんな、のんびりとした島。
撮影の日、僕は早めに支度をすませ現場に向かいました。すこしでも早く行って現場の空気に馴染みたいのです。
着くと、スタッフがもくもくと準備を進めていました。
キャメラさんは監督とポジション決めで、レンズを覗いたり外したり。
照明さんは太陽とにらめっこ。
音声さんは機械のチェックに余念がなく。
現場には僕が乗る白バイならぬ白チャリが置いてありました。
小道具さんにことわりをいれ、白チャリにまたがり早速近辺を巡回。
これも大きな役作りの一つ。
あっ、そうだ!主役の藤山さんに挨拶をしなくては。
白チャリを止め、辺りを見回すがそれらしき人物がいません。いるのは島のおばちゃんたちだけです。みんな見学かエキストラとして出演する人たちでしょう。地味ながらも元気によく喋っています。
藤山さんは女優さんだから現場にはきっと時間ギリギリに入るのでしょう。僕は当たり前のようにそう思っていました。
時間があるので、台詞を島の空気の中で喋ってみます。
ロケ現場で喋って見ると、頭の中で組み立てた演技プランが少し違っている気がしました。すかさず修正を加えます。
この修正が役者にとっては大事なのです。芝居はあくまでも生ものです。頭でいくら考えても、現場の空気に合わなければ、そのプランは捨てるべきなのです。
新しいプランを小さく口にしてみます。
うん、こっちの方がいい。
よかったぁ、早く現場に来ておいて。
それにしても藤山さんはまだかなぁ。
そうこうするうちに助監督が声を上げます。
「撮影開始しまーす」
録音部さんがワイヤレスマイクを付けにやってきました。
「あれ?藤山さんは?」
マイクを僕の胸のあたりに取り付けている録音部さんに訊いてみました。
「いますよ、ずいぶん前から、あちらに」
そう言って、島のおばちゃんたちの群を指します。
よーく見てみると。
いた!
おばちゃんたちに混じって藤山直美が笑っている!
島に逃げてきた殺人犯の彼女は昔から島に住んでいる人のように島に溶け込んでいたのです。僕が今まで接してきた女優さんは、こういう場合、地元の方とは一線を画し、女優であることを主張する方がほとんどでした。役者として役作りをするよりも、有名人であることの方が大事なのです。これが日本人の駄目なところだと思います。
役者である前に有名人なのです。悲しいことです。
でも藤山直美は違いました。
役作りのために朝早くから島民の衣装を付け、地元のおばちゃんたちとお喋りをし、島民との同化を謀っていたのです。
役に対する、正しいアプローチの仕方です。
役者として当たり前の作業が、当たり前にできないでいる今、こんな女優さんがいるなんて、とても嬉しい限りです。
こんなに役に対して誠実に接している方に会ったのは初めてかもしれない。
僕は丁寧に頭を下げ、主演女優に挨拶をしました。藤山さんもペコリと頭を下げて下さいました。
藤山さんから醸し出される空気は、殺人犯そのものでした。死を自らの手で生んでしまった人間の業みたいなものを一瞬で感じさせてくれたのです。凄いことです。
僕は恥ずかしながら、その迫力に圧倒されてしまいました。テストが始まり、撮影の段取りが順調に進んで行きます。
さぁ、次は本番かな?
そのときちょっと雲が出てきました。
「ちょっと天気待ちます」
助監督が藤山さんと僕のところへ椅子を持ってきました。
「たぶん30分くらい待つと思いますので座ってお待ち下さい」
藤山さんと僕は並んで椅子に腰掛けました。
ふだんだと女優さんに対して緊張するということはあまりありませんが、このときは別でした。
隣に座っているのが殺人犯なのです。怖くて怖くて仕方がありません。とても緊張します。
そのとき一匹の島のネコが僕らの前をゆっくり歩いていきました。
藤山さんの顔が急にほころびました。あぁ、きっと動物が好きなのでしょう。普通の女性の一面を見た感じで、僕も少し和みかけました。
が!
そうではありません。
「うまそうやなぁー」
そう藤山さんは言ったのです。
もちろん冗談だと思います。でも、冗談には聞こえませんでした。殺人犯の女性が猫を眺めて、
「うまそうやなぁー」
僕はますます堅くなってしまいました。
結局撮影が終わるまで、僕は藤山さんとほとんど口をきくことなく過ごしました。
役に入り込んでいる方に対して、普通の会話は邪魔だろうと思ったからです。
映画は素晴らしいできでした。
阪本監督と藤山直美がとてもうまく融合された映画で、ドキドキしながら拝見しました。
日本映画にまた新しいスターが生まれたのです。
でも、最終日の打ち上げの時、藤山さんはこう言っていました。
「もう映画はできないかもしれんなぁー、私が映画にかかわっている間、劇団の人間が失業してしまうからなぁ・・・・・」
うーん、さびしい。
たまでいいから、映画をやり続けてほしい。
そういえばお父さんの藤山寛美さんも映画ではあまり主役を張っていなかったように思います。
舞台もいいけど、僕は映画女優としての彼女が僕は大好きです。
食事の時以外はほとんど部屋からでない藤山さん。
役のこと以外はまるで興味がないかのような藤山さん。
最後まで死の臭いを引きずり続けた藤山さん。
日本アカデミー賞以外の女優賞を総ナメにした藤山さん。
こんな素晴らしい女優の演技を日本アカデミー賞はノミネートすらしなかったのです。僕は日本アカデミー賞をまったく信用しなくなりました。
藤山直美。
僕がただひとり、天才だと思った映画女優です。
そうそう、打ち上げの帰りに藤山さんが僕に言った最後の言葉、
「あんた、溥儀に似てはるなぁ」
藤山さん、僕、似てないですよ。
それに溥儀の顔って、ふつうの人はあまり知りませんよ(笑)。
2005.8.1 掲載
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