WEB連載

出版物の案内

会社案内

ロゼッタストーン日記

日記本文はこちら

第22部 「一隅を照らす」


女編集長起業奮戦記
ロゼッタストーン日記
ついに書籍化!
「ロゼッタストーン日記」第1部(ロゼッタストーンは本当に創刊できるのか)が、
『女編集長起業奮戦記』という本になりました!
>>詳しくはこちら

いつもご愛読ありがとうございます。

昨年、比叡山延暦寺に紅葉を見に行き、「一隅(いちぐう)を照らす」という最澄の言葉を知りました。「自分自身が置かれた場所で精一杯光り輝くように努力せよ」といった意味のようです。

螢の光くらいの小さな光かもしれないけれど、私も「一隅を照らす」ような生き方がしたいなと感じました。というわけで、今年のテーマは「一隅を照らす」。具体的には、山口県の著者が全国デビューできるようサポートします。さてさて、実現するのでしょうか?

今年もロゼッタストーン日記をよろしくお願いいたします。

ロゼッタストーン 弘中百合子


●メールマガジンに関するお知らせ

「ロゼッタストーン日記」はメルマガでも配信しています。(メルマガだけのミニ情報つき)

メルマガ配信をご希望の方は、大変お手数ですが、利用規約にご同意のうえ、件名に「メルマガ配信希望」と書いて、下記のアドレスあてに配信先のメールアドレスをお知らせください。

手続きはメールアドレスのみでOKですが、メッセージなども書いていただけると嬉しいです。

●メルマガ利用規約(必ずご覧ください)
●配信申込メールアドレス:diary@rosetta.jp
  (配信停止のご希望もこのアドレスにどうぞ)


◆虫たちにモテモテ…9月15日日記
気が付くと朝晩はめっきり涼しくなり、ここ八代地区では田んぼの稲刈りも半分以上終わった。畑には冬野菜のダイコン、春菊、白菜、ほうれん草などを植えた。虫は外で大合唱。もうすっかり秋である。

今年はウンカ(イネの害虫)が大発生したため、いつもより早く稲を刈ったらしい。となると、新米の味がちょっと心配だ。

腰痛が悪化していた母だが、神経ブロック注射を打ってもらうと、やや改善してきた。もともとじっとしていられない性分なので、家事をやったり、畑の草を引いたりし始めている。うちの母は、アメリカのテレビドラマ「24」のジャック・バウアーのように、何度も危機を乗り越えるのだ。いよいよ本格的な介護生活かと覚悟していたけれど、まだしばらくは、共同生活を続けられそうだ。

さて、ムカデが布団に潜りこんだり、靴の匂いを嗅ぎにきたり、ムカデに好かれて困っていた私だが、どうやら私のことを好きなのはムカデだけではないらしい。

先日、畑で冬野菜を植えていたら、いつの間にか、私の手の甲にキスをした虫がいた。気が付かなかったので、たぶん小さな虫なのだろう。おかげで手の甲が赤く腫れあがった。翌日には、なんと、私の唇を奪いにきた虫がいた。ほんのちょっとした隙に近づいて、唇を盗むのだ。これも小さな虫だと思う。おかげで、左唇の上側が赤く腫れあがり、普通にしていても「変顔」になってしまった。

こんなに虫にストーカーされるところを見ると、もしかして、私の前世は、虫の女王なのかもしれない。でも、いまは普通の人間なのだから、虫に寄ってこられるのは嫌なのだ。虫にもストーカー規制法を適用してくれないかなあ。


◆外もウチも大嵐…9月5日日記
猛烈な台風が近づいてきている。山口県は直撃はしないが、暴風雨圏内に入りそうだ。 スーパーやドラッグストアでは、台風に備えて水などを買い求める客が列をなしているらしい。大きな被害がないように、祈るばかりだ。

父親の四十九日の法事が終わり、ちょっと一段落かと思っていた矢先、今度は母親の腰の調子が悪化し、歩くのも辛そうだ。台風の影響なのか、今頃になって疲れが出てきたのか、まったく別の要因なのか……。

仕事に家事に母のリハビリ、これから大根・カブ・ほうれん草などの冬野菜も植えないといけないし、今年の秋はなんだか忙しくなりそうだ。といっても、できることをできるペースでやるしかないのだけど。

父は80歳まで自動車・バイク・自転車などの販売、修理の仕事をしていたのだが、先日から父の店に残されていた工具や備品などの処分も始めている。父が大事に使ってきた道具が、タダ同然で引き取られていくのは寂しいが、私には使いこなす能力がないので仕方ない。

鉄関係を引き取ってくれた業者さんに「この鉄はどうなるんですか?」と聞くと、製鉄所で溶かされ、新しい鉄と混ぜ合わせるのだという。
「新しい鉄だけよりも、古い鉄を混ぜたほうが、よい鉄ができるらしいですよ」と業者さん。価格を抑えるためではなく、質のよい鉄を作るために、あえて古い鉄を混ぜるのだという。新しい鉄のほうが品質がよさそうなのに、不思議だなあ。(※業者さんも製鉄会社の人ではないので、どこまで正しい情報かはわかりません)

タイヤなども引き取ってもらいたかったのだが、新型コロナで中国などへの輸出が減り、いまは売れないから引き取れないとのこと。新型コロナの影響って、いろんなところに出てるのね。


◆着る人がいなくなると、服はゴミに変わる…8月25日日記
いろんな行事が終わり、なんとなく気分が一段落したと思ったら、もう8月が終わろうとしている。野菜は季節をよく知っていて、キュウリやトマトなど、夏野菜は枯れてしまった。来月は白菜など冬野菜を植える時期だ。田んぼは黄色く色づいてきた。夜は虫も鳴き始め、すでに秋の気配だ。

東京では新型コロナのピークは過ぎたという話だけど、山口県では感染者がどんどん増えている。いつになったら収束するんだろう。

母が父の服を片付けながら「おかしな時代になった」と言う。「世の中不況だ不況だというけど、まだ着られる服をみんな捨てなきゃいけない」と。物が圧倒的に足りなかった戦中戦後を生きてきた母にとって、物を捨てることはストレスなのだ。

ブランド物とか、新品同様の服ならともかく、91歳の老人が着ていた古い服を欲しがる人はあまりいないだろう。先日の新聞に、亡くなった妻の服をビニール袋に10個以上ゴミに出した…というような意味の短歌が掲載されていた。いったい世の中で毎日どれだけの洋服が捨てられているのだろう。といって、洋服を買う人がいなくなると経済が回らないわけで……。新しい洋服を買うのは、人間にとって大きな喜びでもあるしね。

「もったいないよね」と母に同調しながらも、どうすればいいのかわからない。大量生産大量消費の時代はもう終わったという声もあるけれど、大量生産によって単価が安くなった製品を喜んで買ってしまうのも事実。

そういえば、ゴミとして出した衣類はどうなるんだろう。今度調べてみよう。


◆明日が四十九日の法要です…8月15日日記
八代の田んぼでは、もう稲が緑の穂をつけている。来月になったら新米がとれ始める。今年は雨が多かったせいで、夏らしい日が少ない。日照不足で野菜の出来がよくないので、お米の出来もちょっと心配だ。

明日は初盆と四十九日を兼ねた法要。ごく親しい親戚と、いつものお坊さんが来るだけなのだが、母にとっては一大行事だ。家のまわりの草が伸び放題になっているのを気にしているが、母の足元はおぼつかないし、私もそこそこ忙しい。「今回はシルバー人材センターに頼もうよ」と、電話をしてみたら、「いま予約が殺到しているので、新規の方の受付はできません」ですって。暑いなか、草刈りをやろうって人も少ないんだろうなあ…。仕事がなくて困っている人は、田舎で草刈りのバイトをすれば、そこそこ需要はあるんじゃないかしら。

そんなわけで、とうとう私は生れて初めて草刈り機というもので草を刈った。人がやっているのを見ると簡単そうだけど、草を短く刈ろうと思うと地面が削れてしまうし、地面を削らないようにしようと思うと草が長く残ってしまうし、とても難しい。すごい勢いで草は刈れるのだが、私が刈ったあとはまだらになってしまっていた。見るに見かねた母が、私のあとを引継ぎ、きれいに整えて仕上げてくれた。足元よろよろの88歳の母に、私は完全に負けている。

畳の表替えも済ませ、障子も張り替え、古いレースのカーテンを新調し、あとはお客様を待つばかり。毎月法事があると、家がきれいに保てるんだけど。

あっ、これから明日の納骨に備えて、お墓にお花を供えなきゃいけないんだった。なかなか用事は終らない……。


◆物の見方は、簡単に変わる…8月5日日記
早いもので、もう8月である。田舎の1日の時間は都会よりもゆったりと流れているが、時が過ぎるのはやっぱり速い。この季節は、野菜が急に大きくなったり、雑草があっという間に伸びたり、花瓶に飾った花がすぐに枯れてしまったりするので、よけいに速く感じてしまう。

このところ、毎週お坊さんが来てちょっとした法話をしてくれるので、仏教について意外な事実を知ることがある。たとえば南無阿弥陀仏は「なむあみだぶつ」ということが多いが、浄土真宗では「なもあみだぶつ」と言うそうだ(少なくとも、私の地区のお寺では)。ずーっと「なむあみだぶつ」だと思っていた。まあ、元が日本語ではないから、どちらが正しいとも言えないだろうけど。「なもあみだぶつ」は、「阿弥陀様に帰依します」という意味らしい。こんな基本的なことも今まで知らずに生きてきたとはね。

今朝、テレビに歌手の米津玄師が出ていた。別の作業をしながら途切れ途切れに見ていたので誤解しているところがあるかもしれないけれど、彼の代表作「LEMON」は、ドラマの主題歌として頼まれた曲だが、ちょうど大好きな祖父が亡くなり、その悲しい思いを込めた曲になった…というような話だったと思う。大ヒット曲なので、何度か聴いたことはあるが、恋愛の経験を歌った曲だろうと思っていた。

昼間、用事があって車ででかけたのだが、そのときラジオから「LEMON」が流れた。ぼんやり聴いていると、どうしたことだろう。私の目からぽろぽろ涙がこぼれたのだ。「祖父が亡くなったときの思いが(も?)込められている」という情報を知っただけで、歌詞の受け止め方が全然違うことに我ながら驚いた。人間の感情って、ささいなきっかけで揺れ動くものなんだなあ。

「南無阿弥陀仏」という呪文のような言葉も、これまでなんだか口にするのが気恥ずかしかったけど、意味を知れば、少し言いやすくなった気がする。煩悩だらけの私はつい、「阿弥陀様、お願いいたしますぅ」と心のなかで山のように願い事をしてしまいたくなるのだが、お坊さんの話では、感謝の気持ちを込めて唱えるのが大事だという。

最近嬉しいのは、母の腰の調子が少しよくなってきたこと。ありがたやありがたや。なもあみだぶつ。


◆お葬式のあとは忙しい…7月25日日記
早いもので、父が亡くなって明日で2週間だ。なんだか、バタバタバタバタしている。

市役所(支所)、郵便局、銀行、年金事務所などに行って、死亡届けや相続手続きなどを行なった。どこに行っても、何枚も書類に記入し、ハンコを押す。世の中「脱ハンコ」とか言ってるけど、死亡時の手続きにはハンコが必須である。金融機関では、相続人(我が家でいえば、母、姉、私)の実印や印鑑証明も必要だ。

相続手続きには、父親の生れてから亡くなるまでの戸籍謄本を用意しなければならない。相続人が他にいないかを確認するためだろう。

電気などの公共料金の名義変更や引き落とし口座の変更、クレジットカードの解約…。手続きというのは、本当に面倒くさい。

初七日の次は四十九日の法要かと思っていたら、葬儀のあとに毎週法要がある。初七日は葬儀の日に一緒にすませたが、今日は二七日(ふたなのか)の法要だった。このあと、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七日(むなのか)、七七日(なななのか)=四十九日(満中陰)と続く。ネットで見ると、初七日は生前の盗み、三七日は生前の不貞、四七日は生前に嘘をついていないかを調べ、五七日は閻魔大王が生前の罪状を調べる。六七日は変成王(へんじょうおう)が生まれ変わる条件を加え、七七日は泰山王(たいせんおう)が六つの世界の中から故人の行く先を選ぶ。……などと書いてあるものもある。法要を重ねることで、故人の善が増し、故人の罪が軽減されるのだという。

ただ、浄土真宗は「臨終と同時に極楽往生する」という考え方で、法要しようがしまいが、すでに故人は成仏しているそうだ。法要は個人を偲び、仏法に接する機会を与えるためのものなのだとか。うちは浄土真宗なので、父親は裁きを受けることもなく、もう仏様になっているのだ。はるか昔に学校で習った「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という親鸞の言葉が頭に蘇った。遺族にとっては、ありがたい教えではありませんか。(うちの父親は善人ですけどね)



◆「死」は突然にやってくる…7月15日日記
7月12日、父親が永眠した。享年91歳。8月1日の誕生日で92歳になるはずだった。年齢的にはいつ何があってもおかしくないのだけれど、特に危ない兆候がなかったので、私にとっては突然だった。

7月7日の七夕の日には、施設で出た稲荷寿司を喜んで頬張っていたという。が、7月8日午前中に熱があり、顔色が悪く血圧も下がっていたため、救急搬送。施設からの連絡を受けて、慌てて病院に駆けつけた。リンゲルを打ってもらって、60ぐらいまで低下していた最高血圧が110まで回復。酸素マスクを付けてはいるが、とりあえず状態は安定したように見えた。

今年は新型コロナで病院の面会禁止が続いていたのだが、今月から病院でも1回15分の面会が認められるようになったので、大雨警報がでていた10日以外は、毎日面会に行った。だが、酸素マスクをしている父親とは、会話を交わすことはできなかった。何か喋っていることもあったのだが、声は聞き取れなかった。

12日の午前9時半ごろ、病院から「息がとまっている」という連絡があった。急いで病院に行ったが、すでに計器のグラフはまっすぐになっていた。家族が揃った10時36分が死亡確認時刻となった。死因は一応「(誤嚥性)肺炎」ということになったが、体のあちこちで機能が低下していたそうで、「老衰」といっても差し支えないのではないかと思う。

3月上旬から新型コロナで施設での面会も禁止されていた。6月になってやっと1か月に1回大人2人までの面会ができるようになり、短時間言葉を交わすことができた。7月は姉がきたときに一緒に行こう…と思っていたら、救急車で運ばれるほうが先になってしまった。最後の数ヶ月、散歩もできなかったし、ゆっくり話ができなかったことが残念だが、こればっかりは仕方がない。

2年前に東京から山口に戻り、父親の車椅子を押して、施設から自宅までを何度も散歩した。他愛もないことを話しながら、一緒に散歩する時間は、とても幸せなひとときだった。何の恩返しもできなかったけど、そんな時間を持てたことは、私にとって本当に良かった。

それにしても、具合が悪くなってから亡くなるまではあっという間だった。人って死ぬときはあっけないんだなあ…。


◆毎年起きる「数十年に一度」の大災害…7月5日日記
この時期の田んぼは、稲が伸びて緑の絨毯を敷き詰めたようになっている。のどかで美しい光景だが、ひとたび川が氾濫すれば、たちまち泥の海になる。

地球温暖化のせいか、毎年のように「数十年に一度」の大災害が各地で発生する。2年前、私が山口県に帰った夏は、西日本豪雨で周南市にも大きな被害が発生した。幸い、八代にある私の家の周りは大した被害がなかったが、同じ旧熊毛町地区でも、南の方は川が氾濫して家も田んぼも水浸しになった。あとで当時の様子をビデオで見せてもらい、こんなにすごかったのかと驚いた。家が土砂崩れにあって亡くなった人もいる。

八代から国道に向かう道は土砂崩れで長い間通行止めになった。その後、3か所くらい片側交互通行にして、やっと通れるようになったが、土砂崩れ箇所では、山が大きく崩れ、倒れたたくさんの木が道路を越えて下の方まで流れているところもあった。テレビのニュースで見る「土砂災害」と同じような光景が目の前に広がっていたのだ。道路の復旧工事が完全に終わるまでには1年くらいかかった。

熊本の豪雨のニュースを見て、胸が痛む。夜中に突然家の中に水が流れ込んできたら、どうやって逃げればよいのだろう。被害にあった人は、みんな「これまでこんなことはなかった」と言っている。我が家の目の前の小川が大氾濫する可能性だって、ゼロではないと思う。

つい先日、非常に耳の遠い母が「昨日の晩は、雷の音がすごかったね」と言ったのだが、私は熟睡していてまったく気が付かなかった。私のようなぼーっとした性格だと、気が付くと水の中だったということも、十分考えられる。

熊本の被害の全貌はまだわかっていないが、テレビで見る映像では、1階がほぼ水没している地区がある。どうぞ、住民の方々が逃げ遅れていませんように。大変な被害があった地区で、新型コロナが追い打ちをかけませんように。


◆コロナ不安の中で、クマ出没警報!…6月25日日記
母の腰痛が悪化し、またリハビリに通うことになった。5月、6月と母方の親戚の不幸が続き、精神的に落ち込んだ影響もあるのかもしれない。また圧迫骨折か!?と心配したけれど、新しい骨折はないとのこと。痛みで体を動かさなくなるとますます体が動かなくなるので、なるべく動いたほうがいいそうだ。もう88歳。多少の不具合が起きるのは仕方ないと、母は自分の体と折り合いをつけつつ、出来ることをやっている。

新型コロナの影響で、田舎のお葬式も最近はほとんど「家族葬」だ。出席者はみなマスクを付け、お坊さんもソーシャルディスタンスを意識した距離で、お話をされる。会場は換気にも気を遣っている。

施設に入っている父親とは、月に1回大人2人までなら面会ができるようになった。久しぶりに会った父親は、あまり変わってはいなかったけど、生気に乏しい感じがした。感染のことを考えるとやむを得ないのだけれど、いま施設に入っているお年寄りや、入院中の患者さんは、どんなに孤独で不安だろう。コロナと共存するというのは、こういう状態がずっと続くということなのだろうか。仕事の用事はリモートでもなんとかなるけど、家族はそばにいる時間がとても大切なのになあ……。

ところで、周南市では、最近クマの出没が相次いでいるらしい。ただいま「クマ出没警報」発令中だ。昨日(24日)は、ジョギング中の男性がクマに襲われて怪我をしている。ここ八代でも、5月29日、クマが1頭捕獲された。6月20日にもクマが目撃されたらしい。散歩中にクマに出くわしたら、どうしましょ。


◆ゆっくり深く気持ちよく…6月15日日記
ここ何日か雨が続いていたが、今日はまあまあよい天気。ということで、久しぶりにお散歩に行った。田んぼの苗も、雑草も、にょきにょき伸びている。畑の野菜もそうだけど、植物って本当に成長のスピードが速い。

植物だけではない。先日、何か月かぶりに姪の子供(3歳と5歳の女児)が遊びにきたが、お喋りがうまくなり、動作も機敏になっている。子供の成長スピードも驚くほど速い。

それに対して、私の成長スピードの遅いこと。山口に帰ってから復活したピアノは、下手くそながらやっと5曲弾けるようになったが、ちょっと練習しない期間があると、たちまちつっかえる。ダイエットは3ヶ月で200gしか減っていない。もの忘れのスピードだけは加速している気がするけれど…。

でもいいや。若い頃は、「速く、高く、遠くへ」を目指していたような気がするけれど、いまの私は「ゆっくり深く気持ちよく」をモットーにしようかと思っている。

私が東京で習っていた呉式太極拳の先生は、太極拳は、力を抜いて頭を空っぽにして動きを止めずに行うことが大事だとおっしゃっていた。そうして訓練を重ねると、力任せにかかってくる相手を、力を入れずにさばけるようになるのだという。実際、練習では若くて格闘技経験があるような人も、50代の先生に軽くいなされていた(太極拳というと体操のようなものを思い浮かべがちだけど、呉式太極拳は、れっきとした武術なのだ)。

太極拳は、無為自然を説く中国の老子や荘子の思想と関わりが深いのだとか。いま、ちょっとしたご縁で、老荘思想もゆるりと勉強中だ。やりたいことはいろいろあるのに、とにかく速度が遅いのが最近の私(もともと速くはないのだが)。でも、動きをとめなければ、少しずつ前に進めると信じたい。


- Topics Board -
上に戻る