Shinobuのファッション・ファイル 第3回 BACK

UNVERSAL FASHION ― NO.2

「自分流」のスタイルを
見つけるために!


書店に行きズラリとならんだファッション雑誌を見ると、本当にたくさんの種類があります。

最近では、ターゲットがはっきりと「年代化」しているため、学生・OL・主婦の方々は、雑誌のタイトルや表紙のモデル、 特集などによって、手にとることが多いでしょう。

私が普段よく読む雑誌は、「ロゼッタストーン」以外に、ファッション類では「Oggi」や「FIGARO」、インテリア関連では「Casa」、また メンズ雑誌は「Pen」や「ブルータス」などが定番となっています。

雑誌を手にとる様に、これから私たちが何を選び、それによって何が生まれていくのかは、とても重要なことなのかもしれません。

今回、「ユニバーサルファッション」の「ファイルNO.2」では80年代から現在までの「ファッション」の流れを振り返えり、改めて「自分流のスタイル」のあり方について考えてみたいと思います。


〜 ファイル・NO.2 〜

ハマトラ旋風・80'

ミハマの靴
このミハマの靴は先日会った友人が偶然履いていたものです。年代を超えてまたフラットシューズが復活しています。
ルイ・ヴイトンのバック・キーケース
このモノグラムのバックとキーケースは80年代の中頃に母が海外で購したものですが今でも型は崩れず元気に愛用しています。
80年代はじめと言えば私はまだ10代の半ばでしたが、その頃は1年中 テニスに夢中で、普段でも平気でテニスウエアを着て生活をしていました。

その頃のトレンドといえば、横浜のフェリス女学院の女子大生が元町で着ていたファッション「ハマトラ」 (ヨコハマトラディショナル)が大ブームでした。

「フクゾ―」のトレーナーや「フィラ」のシャツ、「ミハマ」のカッターシューズや、 「デイオール」「サンローラン」のワンピースなど、グレースなテイストが多い時代でした。その頃のバックは、今も不動人気の「ルイ・ヴィトン」 や「ロベルタ」また元町ブランドの「キタムラ」が主流でした。


コムデギャルソン・ワイズの登場!!

83年頃からはファッション界はガラリと変化し、川久保玲の「コムデギャルソン」や山本耀司の「ワイズ」などがパリコレに参加し、 「白・黒のモノトーン」が流行しました。

「カラス族」と呼ばれ、渋谷や青山に行くとヘアスタイルを刈り上げにしている女性が多かったのを覚えています。


メンズファッション誌創刊ラッシュ!

86年、厚生労働省により「男女雇用機会均等法」が公布され、職場では 男性同様に女性の立場や評価を均等にする様、社会の流れが少しずつ変わりはじめていました。

メンズ雑誌のキャプション
先日、近所の書店で撮影したものですが、今でも当時と変わらず多くの男性に支持されています。
そんな中、実はもう一方で「男性側」にも少しずつ変化が起きていました。それは「メンズノンノ」や「ファインボーイ」「JJボーイズ」などの 男性ファッション誌が相次いで創刊され、化粧品業界では「男性メーキャップ化粧品」も発売されたことです。

この頃から雑誌の企画などで、男性にも「ミスコンテスト」の様なイベントが多く行われ、「きれいな男性」が増えはじめた時代でした。


ボディコンシャスの時代

時代はいよいよバブル経済へ、その頃、銀座では百貨店戦争と言われた 「プランタン銀座」「西武有楽町店」「阪急有楽町店」がオープンし、都内の百貨店は風雲急の勢いで盛り上がっていました。

そして「ファッション」では、「モノトーン」から「ボデイーコンシャス」へと移行しています。

宮沢りえさんがサンタフェで撮影し写真集を発表したのもこの頃ですが、 時代は女性の身体のシルエットやラインをありのままに表現することを求め、髪はロングに、素肌は美白へとUVカット化粧品が登場し、 「仕事」「ファッション」「生活」「恋愛」の様々な場面において守備範囲が広がり、ハイテンションな時代でもあったと思います。

また、「恋愛」=「お金」と言ったニュアンスの、はっきりとした時代でもありました。


カジュアルに生きる90年代!

この後90年代に入るとバブル経済の崩壊とともに、この10年間は、 ひとことで言えば「カジュアル傾向」の強化された時代でした。

「バーニーズ新宿店」がオープンして、「インポート・直輸入物」に価値感を見出す一方で、ストリート系のインディーズブランドや、 ヒップホップ系、が登場し、とにかく多様化の時代は変化し続けました。


スーパーモデルの登場

90年代の終わり頃には、海外で活躍する「スーパーモデル」の登場により、雑誌では彼女たちの日常スタイルが紹介され、 パリ・ミラノ・ニューヨークなどの、海外カジュアルファッションがブームとなりました。

「セレクトショップ」が急増したのもこの頃です。

その後、日本経済の傾きにより、私たちのファッション感覚も少しずつ変化していきました。

「グッチ」「プラダ」「ルイ・ヴィトン」「D&G」「CK」などを、充分に着こなしながら、もう一方では金額的にも買い求めやすい、 「GAP」や「ユニクロ」に走ってしまうと言う、新しいスタイルがブームとなりました。

カルバンクラインのTシャツ グッチの時計 プラダのバック
90年代のカルバンクラインはウエアだけでなく、下着も男女問わず人気がありました。 ここ最近のグッチは、80年代を思わせるグリーンと赤の復刻デザインがとても新鮮です。 これは98年に私がどうしても欲しくて買った思い出のプラダのバックです。

「消費」によって、私たちのブランド価値観が広がっているようでもあり、 実は見失っているようにも見える、とても不思議な時代です。

この頃、1999年・3月に、「ユニバーサルファッション協会」が発足されました。

2000年以降、「ファッション」を通じて感じることは、過去60'70'80'に流行したものが、オマージュとして交互に復活をしています。

また、ファッション雑誌は、30代以上の40・50代を対象にしたものが年々増えています。

でも、例えば10代・20代が「クロワッサン」や「婦人画報」を読み、また40・50代が「an・an」や「Luci」を読んだとしても、 それはそれで構わない様な気がします。

こんな多様化な時代だからこそ、何を選ぶのかは年齢など関係なく、その時の「必要性」「欲求」に応じて自分が決めれば良いのだと思います。

「きっとそこから、自分流のスタイルが見つかっていくはずです」

「ユニバーサルファッション」は、そう言った意味でも今後にとって、 今以上に必要な存在だと私は確信しています。



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