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第12章 死人の愛と幽霊学



「死んでバカを治すことに決めたんです」
「何バカなこといってるのあなた」
 と、馬鹿なかけあいができるのも知った顔同士だったからだ。
「生きるのって一回しかないのよ。貴重なのよ。バカなの? 死ぬの?」
「いや、だから…」
 事務男はやれやれと思い、反論を諦めた。2人とも会話に余計なノイズが入ることはしょっちゅうだった。
 事務男は退屈しながらも真剣な顔をしていた。
 明美は紅潮して上気だった興奮気味の顔をしていた。

「それ何? ハンドバッグ?」
 明美は小さいハンドバッグを右ひじから下げていた。ハンドバッグの口は開いていた。
「そう、中にお金を入れているの。
 常に1111円とか、555円とかになるように数を調整してるんだよ。
 お金をそういう風に揃えると何かにあやかれそうな気がする」
 明美は肩を回してハンドバッグを肘を支点にぐるぐる回した。遠心力でお金を落ちないようにしながら。左手で事務男を指差しながら。
「やめろよ、ハンドバッグが飛ぶし、俺を指差すな!」不安になった事務男は叫んだ。

 事務男と再会したのは、明美が仮面の秘密結社「狼と針鼠倶楽部」に入ってしばらく経ち、相談仕事を実演・講演できるようになった頃だった。
 明美が夜の実演勉強会に参加したときに、聴講客で来た一人が事務男だった。
 事務男は耳の奥に聞こえてくる色んな人の実演の声に浸っていた。

 明美は先生に誘われてクラブに入り、仮面の交流を行って、どんどん人が変わっていった。
 事務男は相変わらず人を騙して生きていた。騙すたびに彼の中の何かが変わらなくなった。

 2人が再会したときは最初に出会った頃から何年も経っているかのようで、実際お互いに変わっていて、仕事の初対面のように社交的でビジネスライクな挨拶をした。
 2人がお互いに既知の関係であることに気づいたとき、明美は驚きもせず、偶然が必然であるかのように精神の態勢を柔軟にシフトした。

 そこは薄暗く、近くに何かいるかもしれないという気配しか感じ取れない場所だった。2メートルぐらい先は真っ黒で光はなく、何も視認できない。2人の顔がわからない。白い煙がたゆたっていた。
 事務男からは明美の頭がよく見えた。表情は見えない。代わりに白い煙が顔のあたりを丸く浮かんでいる。髪の毛を栗色に染めていて、空中に浮かぶ能面のようだった。

「驚いた。君なの? あれ?」
 明美の笑顔が煙から現れた。
 暗い所に浮かぶ笑顔は楽しそうに見えなかった。
 明美の笑顔は煙に巻かれてゆがんだ。
「引き込んだのはあなたなんでしょ?」
 いや、ちがう、と事務男は反射的に思った。

 驚いたのは最初だけで、すぐに無表情になった。事務男は明美と対等になれたと思った。

 事務男はいつからか片目をつぶる癖がついていて、片目しか開かなくなっていた。
 魂が片目をつぶり、いつも何かを見ないようにして日々を過ごしている。
 事務男は毎日を魂が命じる義務のごとく生きていた。

 ◆

 いつものように事務男は仕事終わりに先輩に飲みに連れていってもらった。
 先輩とは2人で飲むこともあれば、先輩が誰かしら連れてきて複数人で飲むこともあった。
 友人とか知人とか同僚とかその辺でナンパした人など。
 その日は先輩の、最近できたばかりの新しい友人とかいう人が同席した。
 その新友人は全体的にチャラく、電車の座席シートみたいなパーカーを着ていて、肌はつるりとして陶器とプラスチックでできているみたいに綺麗だった。
 先輩が日系人のサイトウさんだと紹介してくれた。名前は偽名だそうだ。

 その日は珍しく先輩は用事があるとかで先に帰り、サイトウさんは何もないからとその場に残り、事務男とサシ飲みの形になった。3時間近く飲んで少し打ち解けた後、2人はさらに距離を詰めるタイミングを計っていた。
 サイトウさんはウェイターを呼び、事務男のために追加の酒を注文した。
「兄ちゃんにウイスキーをおごってやって」
「あ、すみません」
 おごるのはサイトウさんじゃなくて、ウェイターさんなんだろうかと考えながら事務男は申し訳なさそうに返事をして、運ばれてきたウイスキーを口にした。くらっときた。
「お前、何やってんだ」
 と、事務男に質問した後、サイトウさんは自分の人生の一部始終を話した。
「お前は主人公感が全然足りないよ。人生の主人公意識が全然足りない。まるで脇役だよ」
 俺の人生は俺のもの…。俺の人生は俺のもの…。
 サイトウさんは念仏でも唱えるかのようにぶつぶつ言い始めた。事務男の方は見ていなかった。だいぶ酔っているらしい。事務男も釣られてぼそぼそとつぶやいた。

 そのとき突然何かがフラッシュバックした。
 突然めまいがして目の前に人影のようなものが現れる。
 事務男は集団のひとりだった。
 みんなライフルを持っている。
 事務男は小さな拳銃を持っていて、
 何かたくらんでいる。組織に潜入する。
 モグラのように潜入する。

 これが走馬灯というやつか?と事務男は思った。
 しかし死につながるような徴候は何もない。
 目の前にはひとしきり喋り終えて目がとろんとしているサイトウさんがいるだけ。

 事務男が組織に入ったのは、
 お金と家、居場所が欲しかっただけ。
 住む場所が欲しかったのだ。
 物理的にも、精神的にも。
 本当にそうだ。

 ◆

 目の前に座っていた明美が事務男の目を撫でるように覗き込んだ。
 事務男は回想をときおり声に出して喋っていた。

「じゃあ逆にたどってみようよ、人生を」と目の前にいた明美が言った。事務男は現在の現実に連れ戻された。煙は晴れていて電気も点いていた。明美の顔がよく見えた。

 事務男はこれまで先輩に勝つためにどうすればいいか、ない頭をひねってたくさん考えた。先輩はいずれ組織を乗っ取る器のある人間だ。そして自分はその先輩をいずれ乗り越えなければならない。事務男は先輩にくっついて仕事をこなしながら、先輩の所作や言動を観察し続けた。

 先輩が組織を乗っ取った瞬間、彼を倒して乗っ取るのがいい。
 そのときはまだ組織もがたがたのはずだし。
 そのとき俺は先輩に容易に近づける気がするし。

「だから組織の秘密、先輩の秘密を探りたい」事務男は想いを絞り出すように言った。
「わたしは裏切る気はないよ。でも手助けはする」明美は答えた。
「ありがとう」事務男は答える。
「人生を逆にたどるというのはね、
 目的から遠ざかるってこと、
 原因に向かう、そうすると本当の原因を知ることができる、
 執着から離れることができる、目的は執着だから、
 だから輪廻転生し続けるのよ」
「あれ? 先輩の話じゃなくて?」事務男は明美の話を遮って言った。
「だから、それはとても危険な行為じゃない? 先輩の話も組織の話も、探るのは。だって秘密を知りたいなんてしくじると死ぬかもしれないでしょ。命がけでしょ。だからさっき言った自分の意志をちゃんと確かめたほうがいいよ」
「そうか…。そうだよね」
 事務男は今いちど自分の気持ちを確かめた。そしてしっかりと覚悟を決めた。後戻りできなくても構わないというように。

「それでその話はどういうこと?」
「人生を逆にたどって、先輩の昔を探ればいいんじゃないかな」
「何それ? タイムマシン?」
「ちがうよ、あなたが自分の人生を逆にたどるのよ。全部逆に見えてくるからタイムマシンじゃないよ」
「よくわからないけど、そんなことできるの?」
 明美は一息おいて話を続けた。
「幽霊ってね、死んだときに記憶がそこで止まるのよね。死んだその時点で。怨念であの世に行けないとか、地縛霊になるとか、そういうことなの。幽霊になると人生がそこで終わって、記憶がそこで止まり、記憶を自由に遡行できるようになるのよ」
「なるほど、幽霊になればいいってことか」
「そう。だから死ななければいけない」

 時間は遡れない、
 ひょいっとそこから出なければならない、
 幽霊は時間をひょいっと出た存在なのよ。

「これは幽霊学で提唱されてるちゃんとした理論なのよ。提唱者は探求のために真っ先に死んだ。可能性を追い求めるために」
「死ななきゃいけないってことか。でもそうするとこの世には戻ってこれないんだよな」
「死ぬ気はない?」
「死ぬ覚悟はある。リスクはちゃんと背負うよ。でも100%死ぬのはダメだ。だって意味ないじゃん。先輩倒せないじゃん」
「そう、だからあなたの目的を達成するためには無理ね」
「何だ、無理なのか」事務男はがっくり肩を落とした。
「2番目の手段を講じるしかないわね」
「何だ、そんなのあるのか。先に言えよ」
「まあ、聞いて。この話をしたのは原理を知ってほしかったのと、あなたの覚悟を確かめたかったのもあるのよ」
 事務男は無言でうなずいた。明美は終始真剣な表情だったから。余計な茶々を入れるときではない。
「思い出ってよく言うけど実際には忘れてることを普通に思い出すのは不可能なの。それはずっとつながってるものだから。途中歯抜けで思い出すことはできない。だから順々にたどっていくしかないのよ。そして、生きてるとどんどん記憶が増えていくからそのままでは記憶をたどるのも無理。下りのエスカレーターを上るようなものね」
「なるほど」
 頑張れば上れるというツッコミは入れず事務男は考えた。
 事務男はすぐにピンときた。
「つまり、記憶を止めなければいけない? 増えないように。幽霊がそうであるみたいに」
「そう! 頭いいね!」
「明美のおかげだよ」事務男は喜んだ。明美も嬉しそうだった。
「記憶を逆に再生するには記憶が増えないように止めなければいけない。でも止める手段はほとんどないの。睡眠したって記憶は増えていくからね。夢は記憶のフィクション生産装置だから」
 事務男は記憶を止める手段を想像してみた。死ぬこと以外に。
「薬…、電気ショック…、暗示をかける…、トリップ…」
 明美は手で×印を作って言った。
「どれも不正解です」
「じゃあ何をすればいい?」
「笑い続けるの」
「笑うの?」
「そう、9時間笑い続けること」
「9時間も?」
「笑い続けるとすべてが無意味になる。そうやって脳を調教するのよ。脳は意味のあるものしか記憶できないから。すべてが意味がない、って調教するんだよ」
 事務男は黙った。明美は続けて言った。
「そうしたら、心が砕ける。心が砕けると記憶できなくなる」
 事務男はコンクリートのブロック塀がバラバラに壊れていくような錯覚を覚えた。
 撫でられていないのに頬がへこみ、爪が剥がされ、皮膚の色がなくなる。
「でもそれ何か怖そうだな…。思い出なくなったりしない? 元に戻れるの?」
「なくならないよ。たどるためにやるんだから。増えないようにするだけ。貯まったものは消えないよ。それに今までのことなんてどうでもいいでしょ。将来が、目的が大切なんでしょ?」
 どうでもよくはない、だが明美の言う通りだと思った。
 どうでもよくはない、でも口について出たのは似て非なる言葉だった。
「願いが叶うなら全部捨ててもいい」

 外は乾いていた。
 息が切れ、動悸が起こり、しばらくして収まった。

 明美は自分の記憶が気になり、意識を流して最近を振り返る。部屋の花は大丈夫かな。エレベーターごっこ。カラフルなペイント弾で塗られた街。ひとつひとつの形が愛おしい。この痛々しい人生。

「でもすごいね、明美ちゃん。色々できるんだな」
「クラブの秘儀だよ。最近できるようになったんだ」
「そうなの? バレたらまずいんじゃ?」
「まずくないよ。あなたが神さんになるんだもの」
「ああ、そうか…」

 これが組織の秘密か。
 人が次々に神さんになっていくってやつ。
 ヘンシンしていく、カイゼンしていく。

「元には戻れるよ。これは調教だからね。調教しておとなしくなってもいずれまた元に戻る。ヤバいときはわたしが何とかするから」

 事務男の目の前が再度フラッシュバックした。
 明美の顔が永遠に動かなくなった死者の顔のように冷たく綺麗で、薄く平べったく見える。記憶の川の水面のゆらぎに透けて見えるように。


<第12章END>


2015.1.15 掲載

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著者プロフィール
伊勢 結(いせ ゆう) : 東京在住。小説や絵本をつくってます。
絵本『転校生ゴーレムくん』発売中。詳しくは下記ウェブサイトをご参照ください。
iseyu.info ◆ http://www.iseyu.info
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