私こと矢野啓司は全責任を以て、私の息子の亡き矢野真木人に成り代わり、本日の意見陳述をします。以下の私の言葉は、故人である矢野真木人の言葉としてありますが、内容は実証と証人から得た証言などに基づいており、架空の話ではないことを申し添えます。これ以後の私の言葉は、故矢野真木人の証言として、お聞き下さい。
N純一よ、私が生きていた時の最後の瞬間、あなたは斜め右前方から接近してきました。けれど、スーパーマーケットの駐車場の中では、よくあることなので、私は、気にも留めませんでした。私は自分の車に乗るために、頭を左向きに回したとたん、右胸に「ずしん!」という衝撃を受けました。
「私は、何が起こったかわからなかった」
残念ながら、私はこの時初めて、あなたが私にとって人生最大の悪夢であることに、気がつきました。私は、先ほどまで食事していた、レストランに向かって逃げました。あなたの巨大な黒い影が、迫ってきました。私の最後の気持ちは、恐怖でした。それも、この上ない奈落の底に突き落とされる恐怖です。私は気を失いました。その時、私は「病院の中で蘇生する」ことを心から願っていました。
「私は生き続けたい!」
私は蘇生しませんでした。駐車場の堅く冷たいアスファルトが、私の最後のベッドでした。
「ああ、死ぬのなら、幸せに死にたかった!」
N純一よ、あなたはいわき病院に帰りました。私の血が付いた手を洗いアネックス棟の個室に閉じこもりました。あなたは「あーあ、やってもた。俺の人生おわってしもた」などと、呟いていました。私の人生を奪い去った、そのあなた自身が、「俺の人生おわってしもた」と嘆いていたのです。
「何という、理不尽な言いぐさでしょう!」
夕食の時に呼びに来た看護師に、あなたは「警察がきたんか?」と尋ねたそうですね。そう、N純一よ、あなたは私を殺した平成17年12月6日には、明確に、自分が犯した、殺人事件のために、警察に逮捕され、刑務所に閉じこめられる、自分の姿を、予想していました。あなたには、「因果律と法律の下の裁き」を理解する、理性と心がありました。統合失調症の病名は、あなたの刑を軽減する理由にはなりません。
「あの日のあなたの心は、完全な法的責任を問えるものだった!」
N純一よ、あなたは長男です。生まれた時に、両親は大喜びしたはずです。あなたは美男子で、男丈夫です。両親の愛を受けて、幸せに育ったことでしょう。しかし純一よ、あなたの人生は、あなた自身が閉じたのです。最初、あなたは転校していじめにあった、と聞きます。あなたは中学時代という、人生の入口で不登校になり、社会の中でまじめに生きる努力、をあきらめました。あなた自身の心の持ちようが、前向きであったなら、あなたの人生は、今では希望に満ちていた筈でしょうに。
「そして、私も命を失うことがなかった。 私は今でも生きている筈だ!」
N純一よ、あなたの両親は、あなたを守り続けてきました。あなたは17才の時に、旧香川町の自宅を焼失させました。両親は引っ越しまでして、あなたを世間の批判からかばいました。しかしあなたは、両親に安住の地を与えませんでした。あなたの家族は、住所を変えながら、あなたの回復を願ったに、違いありません。しかしあなたは「悪さをしても、世の中の罰から、逃れることができる」という反社会性人格障害の人格を持ちました。あなたの両親は、まじめに真っ当に生きるあなたを、切なく望んでいた筈です。あなたは、自分の意志で、善良な人間として生きる道を、放棄したのです。
「自分の人生には責任を持ちなさい!」
N純一よ、私も子供の頃には、焼けを起こして、全てを放り出して、楽になりたいと思ったことは、何回もあります。幼い頃に私が経験した異文化体験は、本当につらかったのです。私はインドで、言葉が解らない英国人学校に入れられました。日本に帰国したら、漢字が読めなくて苦労しました。私は弱虫で、泣き虫だったので、学校では、いじめも経験しました。だが、私は不登校には、なりませんでした。
「私はいつも精一杯生きてきた!」
N純一よ、私は、自分がしなければならない、勉強や社会の義務は、あきらめませんでした。私はじっと、耐えて、耐えて、耐えて、生きてきました。自分の得意な分野で、社会に認められるように努力しました。するとすこしずつ、周りの世の中が良くなってきました。長い長い少年時代の、冬の苦しみを経て、やっと、世の中がバラ色に、見え始めていました。N純一よ、あなたは、たった包丁の一刺しで、私が持っていた、全ての希望を閉じたのです。あなたは、私を、永遠の闇の世界に、送り込みました。
「私は生き続けたかったのに!」
N純一よ、私は日本人であり、また英国人です。私は成人する前に「英国籍を放棄するか?」と、私の父親に、勧められました。けれど、私は「私の人生を、日本と英国、両方の国籍を持って切り開く」ことにしました。しかし、その希望は、あえなくあなたの凶刃の一撃で、失われたのです。
「私は生きて、希望を実現したかった!」
N純一よ、私は世界に羽ばたく夢を失いました。私は心優しく賢い妻を持つ、希望を失いました。私は幸せな家庭を持つはずでした。私は子供達に未来を託すはずでした。私の血筋は、未来に向かって永遠に継承される、筈だったのです。
「ああ、私は生き返れない、何も残せない!」
N純一よ、あなたは、私の全ての未来を、うち砕いてくれました。私が持っていた全ての可能性は、蜃気楼のような、はかなく消えゆく、映像にされてしまいました。理不尽にも、あなたが消し去ってくれました。それがあなたの「誰でも良いから、人を殺そう」とした結果です。
「ああ、私はあなたに殺されてしまった!」
N純一よ、私の人生など、あなたにとっては、どうでも良いこと、なのでしょう。元々あなたは、自分で自分自身の、全ての人生の可能性の道を、閉ざしていました。あなたは、あなたの人生を、私にも押しつけました。私の全ての可能性や、希望や夢を、奪い去りました。私を永遠の闇の世界に、落とし込みました。
「ああ、私は生きていたかった!」
N純一よ、あなたは「矢野真木人に対する殺意」を法廷で否認しました。元々私たちは見ず知らずです。予め「矢野真木人に対する殺意」が有ったとは言えません。それでは通り魔殺人は、刑が軽くて当然なのでしょうか。これは社会正義に反しています。だが、あなたの罪を軽減しようとするその考えが、あなたの法的責任能力を証明しています。あなたは、心神耗弱ではあり得ません。「殺意は無かった」と自ら発言して、「刑罰の軽減を期待した」あなたの心で、「私は法律を理解しています」と証言したのです。あなたは、あなたの理性で法律と裁判の意味を理解しています。あなたは矢野真木人を殺害した法的な責任を果たさなければなりません。
「私は、正直に生きていた!」
N純一よ、あなたは心神耗弱で、刑罰が軽減されるとしましょう。未来のいつの日にか、あなたは刑期を終えて自由を得ます。あなたは反社会性人格障害という、業を背負っています。それは精神障害ではありません。精神障害を語り、罪を逃れようとするやっかいな人格です。あなたには、働く術もない、働く意欲もない、生活の場所もない。あなたはすでに、精神科病棟か、刑務所の中の環境でしか、生きられない人間になっています。N純一よ、第2・第3の矢野真木人を、出してはいけません。誰も、理不尽に命を奪われたくはありません。
「私だって殺されたくなかった!」
N純一よ、私はあなたに「終身刑の判決」が出て、「残された全ての人生を、刑務所の中で過ごすよう」に求めます。あなたは「とんでもない、たった一人を殺しただけじゃないか、罪が重すぎる」、また「そんなことは人権無視だ、俺は生きている、俺には人権がある」と言うかもしれません。
「そうです、あなたは生きている。けれど、私はあなたに殺された。」
N純一よ、あなたは私の生きる権利を、ただ「誰でも良いから人を殺したい」という理由で、あなたの意志で私の命を奪い去りました。
「私は生きていたかった!」
N純一よ、私はあなたに「終身刑を全うする人生」を望みます。あなたの人生は、罪多い。中学校の時に、勉強を続けることを放棄しました。中学を卒業した後、まじめに仕事をしませんでした。自宅に火を付けました。K大学病院に包丁を持ち込みました。K県庁の前の街頭で他人になぐりかかりました。病院内で他の患者や看護師に、襲いかかりました。たばこの火を、自分の顔に押しつけて「根性焼」をしました。そして、矢野真木人すなわち私を殺しました。包丁を持つとあなたは恐ろしい。
「私は生きていたかったのに!」
N純一よ、終身刑を全うすることは、何よりも家族のためです。あなたの両親と家族は、既に疲れ切っています。自由になったあなたが、再び出現すると、困惑するでしょう。あなたは「家族も、あなたの出現を恐れている事実」に衝撃を受けるでしょう。あなたは反社会性人格障害者です。世の中の人に迷惑をかけないために、拘束され続けてください。
「それがあなたの社会貢献です!」
N純一よ、私の人生の代償とするには、あなたの人生は、これまで、あまりにも無為と惰性に満ちており、残念でたまりません。あなたの人生を、私のこれまでの努力の代償とするには、あまりにもなさけなく思います。
「私は生き返りたい、生きて働きたい、私も社会に貢献したかった!」
N純一よ、あなたは、中学校の時から、勉強を放棄したので、本を読み続けることは、難しいかもしれません。しかし、いみじくも、私を殺した日に言った「俺の人生おわってしもた」という言葉の意味を、自分で考える意志があるなら、本を読んでください。刑務所の中で本を読んで、自分を磨いてください。刑務所の中で、自分の人生の意味を、造りあげてください。それがあなたに残された、一番良い人生の可能性です。そして「刑務所の中で、静かに人生を閉じて欲しい」と希望します。
「ああ、私も人生を全うしたかった!」
これがN純一に生きる道を奪われた、私こと矢野真木人がN純一に望むことです。
N純一よ、あなたには未だチャンスがある。うらやましい!
しかし、私のチャンスはあなたに奪われてしまった。なさけない!
残念でならない! 私は生きていたかった!
私こと矢野啓司は、ここまでは、N純一に対する、故人矢野真木人の言葉として証言しました。ここからは、私、矢野啓司本人の言葉として、N純一および、その両親である、N夫妻に申します。
N夫妻、私は心から残念に思います。事もあろうに真木人葬儀の葬列で一番最初にあなたが出現した本心は、やはり衆人の前で謝罪した事実を作り、純一に軽い刑を期待していたのですね。あなた方はこれまでも純一が問題を起こす度に、拝み倒して許しを乞うています。それは被害者の良心に対する裏切りです。これ以上、世間に迷惑をばらまかないで下さい。親として、純一の反社会的な人格を軽く見て、本質を避けて、表面を小手先で取り繕ってきたからこそ、純一を矯正する機会を逃しました。そのあげくに矢野真木人を通り魔殺人しました。純一は善良な人間ではありません。純一をかばい続けることで、社会にこれ以上の迷惑を及ぼさないでください。私は確信します。あなた方にも矢野真木人殺人の責任があります。
N夫妻、私どもは、純一が起こした火災の後で、あなた方が何回も、T市の南部の近隣を転居していた事実を知って、驚きました。あなた方がI病院内でN純一に与えた、特別待遇にも驚きました。普通ではない快適な待遇が、I病院では、純一に与えられていました。あなた方が期待した、純一に対する快適な生活が、純一を犯罪者にした、とも言えます。また繰り返した転居には、純一の過去を隠す要素があった、もしくは隠す結果となった、のではないでしょうか。あなた方は、毅然とした態度を純一に見せなかった、のではありませんか。
私は悲しいのです。「真木人に試練を与えすぎた。真木人が早世するのであれば、可愛がって、可愛がり過ぎるぐらい、可愛がってやりたかった。父親が頭で考えた試練を、与えるのではなかった。もっと甘やかせてやりたかった・・」と涙が出ます。幼少の真木人を、異文化の中に、繰り返し、繰り返し、真木人一人で落とし込んだ、自分を恨みます。英国で、わずか6才の真木人を、一人で入院させたことがあります。小学校時代の真木人は、食物アレルギーで、みんなと一緒に給食を摂らず、一人で別の物を食べていました。真木人が耐え続けた孤独を思うと、胸が張り裂けそうです。
「獅子の子落し」という言葉があります。子供が可愛いからこそ、子供に期待するからこそ、親に期待される勇気だと思います。N夫妻には「純一に厳罰が下ること」を望んでいただきたい。矢野真木人を殺したような、見ず知らずの人間に対する通り魔殺人を行った今、純一を甘やかしてはなりません。純一には「終身刑を甘んじて受けるように」と説得してもらいたい。また「刑務所よりは精神科の特別室へ」などと希望や嘆願をしないでもらいたい。今までは、それが仇となっています。親として、耐え難いかもしれませんが、純一に毅然とした態度をとることをお願いします。それがN夫妻と純一にできる、最善の社会貢献だと考えます。
私こと矢野啓司は、N純一が、残された人生を刑務所の中で過ごすことを望みます。将来、仮に恩赦や保釈などで刑務所から出す事があっても、その時には、純一は精神科の閉鎖病棟の中で余生を過させていただきたいと希望します。
私は何回か社会貢献という言葉を使いました。生きている純一には、本人の努力により社会貢献をする道があり得ます。純一に、人間として少しでも再生の可能性があるならば、刑務所の中で人間として「生きて死ぬ意味」を見いだしてもらいたい。
死んだ真木人にはもうチャンスがありません。唯一の可能性は、親が矢野真木人の名前で代行してやることです。永遠に親離れできなくなった真木人が不憫でなりません。それが残念でなりません。これで、私の証言を終わります。