矢野真木人殺人事件(第2回公判)意見陳述書
矢野 千恵

私こと矢野千恵は、故人矢野真木人の母親として、私の良心にしたがって、真実を語り、そして、日本で正義が実現され、日本がより良い社会になることを願いながら、本日の意見陳述をいたします。


私たちに「さよなら」を言う間もなく、突然に28才の将来ある、若い命を絶たれた息子、真木人が私はあわれでなりません。

真木人は生きたかった。生きてこの社会で、思い切り活躍したかった。
  矢野真木人は、家庭を持ち、穏やかな人生を送ることを、望んでいました。

私は街で真木人に似た青年を見かけると、思わず駆け寄ってしまいます。「こんなところにいたのね!」と一瞬思うのですが、すぐにそれは失望にかわります。「立っている姿の真木人は、もういないのだ」と思うと、胸が締め付けられます。真木人が録画予約していた番組を台所で一緒に見ては感想を述べあったものでした。今、私はその番組を一人で見ることができません。「ほんのこの間まで、一緒に見ていたのに・・・」という思いが先に立って、まともに内容が頭に入ってこないのです。

私は真木人の夢をよく見ます。大人の真木人の時もあり、子供時代の真木人の時もあります。私が夢の中で、必ず真木人に尋ねることは「真木人、ケガしたんじゃなかった?」です。真木人の応えは、いつも決まっています。「ケガしたことはしたけど良くなったよ。」続けて私は「そう、良かったね、心配してたんだけど、大丈夫だったのね」と真木人に向かって言うのです。

ここで必ず眼が覚めます。眼が覚めるとどこを見回しても、さっきまで元気だった真木人がいないのです。白骨になり小さな箱に入ってしまった真木人が、沈黙の森の中にいるだけです。こんな日は「どうして目が覚めてしまったのだろう。夢から覚めなければ良かった。ずっと夢の中だったら良かったのに」と思うのです。そして一日中、さめざめと泣いてしまうのです。

黄泉の国に、駆け降りていった真木人。死の世界に行ってしまった者と、結婚してくれる人はいません。家庭も持てないし、子供もできません。良き社会人、良き家庭人になるよう育てられた、真木人自身も不本意でしょうし、私たちにとっても、これほどの不幸はありません。

たった一人の息子、真木人を失って、真木人の存在が、私たちにとりどれだけ大きかったかを、再認識することになりました。400年続いた家系の存続、事業の継承、私たちの平和な老後、それらが一瞬にして、全て夢まぼろしの泡と、消えてしまいました。
  絶望感に打ちひしがれ、喪失感で一杯になり、生きている心地がしない時もあります。家族中がため息をつき、涙しない日はありません。
  「ああ、真木人が生きていてくれたら・・・」と嘆き続ける、人生になってしまいました。これからどう生きていくのか、生きていけるのか・・・・。
  家族全員が、人生の見直しと変更を、迫られています。

第一回公判で、犯人の純一は「殺すつもりはなかった」とそこだけ取って付けたように、殺意を否認しました。 それまで「前日から誰かを殺そうと思った」、「病院を出るときから、誰か殺すつもりだった」と言い、包丁だけを購入し、刃渡りよりも深く、胸に突き刺して殺しておきながら、「殺すつもりはなかった」など白々しい、図々しい。これこそ反社会性人格障害の証明のようなものです。

起訴が決まるまで、私たちは純一が、精神病で人生を狂わせた、かわいそうな人だと、信じていました。しかし起訴後、反社会性人格障害という、精神病ではない、もう治らない、「社会に害をおよぼす人格障害」があることを知りました。

「純一には、前科がない」と言われ、そう信じていました。しかし単に警察の記録に、残っていないだけでした。とても善良な人間であるとは信じられないような、様々な前歴が、出てきました。慢性統合失調症も、四半世紀に及ぶほど病歴が長く「もう寛解には至らない」と鑑定医は述べています。また、慢性統合失調症だからといって自動的に刑の軽減がされるのは納得できません。

純一は184センチメートル、体重100キロの巨体で、迷惑行為を、平然とたびたび行い、殺人まで犯してしまった人間です。その様な人間を、心神耗弱で罪を軽くして、社会に出して良いのでしょうか。外に出ても、帰るところもない、仕事の経験も能力もありません。純一ができることと言えば、第2・第3の殺人を犯すことだろう、と確信します。反省した振りをしても、後ろを向いて舌を出している、それが反社会性人格障害です。そして犯罪はエスカレートしてゆくのです。

私は心神耗弱を認めたくありません。しかしたとえ統合失調症による心神耗弱で、罪を軽くしなければならないとしても、純一に課せられる刑罰は「終身刑」であることを私は望みます。

N純一を死刑にしたい、とは思いませんが、心神耗弱で罪を軽くしなければいけないのなら、「死刑にしてくれ」と言うしかありません。懲役300年の刑がどうして日本には無いのでしょうか。

精神障害者には、自傷他害はよくあることです。純一は殺人の一週間前にも「根性焼」と称して自分の顔に傷を付けています。このような自傷行為が高じて、純一が自殺したいのなら「どうぞそうして下さい」と言いたい。私は止めません。野津純一が死んで一番ほっとするのは、今まで悩まされ続けてきた、純一の両親かも知れません。

純一には、死んだら、あの世で真っ先に真木人に謝って欲しい。真木人の人生を理不尽に奪ったことを、土下座して謝ってほしい。

純一が、万一終身刑ではなく、将来のいつの日にか、生きて社会に出てくることがあれば、純一の両親および姉と弟は責任を持って、純一を精神病院の閉鎖病棟に閉じこめて欲しい。それが、純一の家族が自らの身を守ることでもあると信じます。

死の世界に、永遠に閉じこめられてしまった息子、矢野真木人も、犯人である純一が、二度と社会に出てこないことを、強く望んでいると私は信じています。

これで、私こと、矢野千恵の、本日の証言を、終わります。

平成18年5月24日
矢野 千恵